まず、韓国ドラマ       ハイクラス~偽りの楽園~   の一部をご覧ください


①場面はあるお母さん↓

(職業:弁護士

以下弁護士お母さんと記載)

 

学校から

自分の息子が他の子供に怪我を

させたからと学校から呼び出しを

受けた場面から始まります。

 

左上→右上→左下→右下 と

読み進めて下さい。

 

学校の先生から

「こんな事を言いたくはないんですが」

から、

「ここは教育熱心で有名なんです」

と言われています。

 

 

②怪我をさせられたお母さん(検事の妻)

以下、検事の妻と記載

が、診断書を持って怪我をさせた

子供のお母さんを問い詰めます。

 

 

③自分の息子が他の子供に

怪我をさせた事で

「どうすれば許していただけますか?」

と問いかける弁護士お母さん。

 

怪我をさせられた検事の妻は

自分の息子に謝ってほしい

謝らないなら転校でも退学

でもお好きにどうぞと。

 

そこで弁護士お母さんは

自分の子供に

事情を聞きます。

 

「何があったの?」

 

すると息子は

 

「僕は悪くないもん」と。

 

その後、お母さんは「わかった」と

言い再び教室に戻ります。

 

④弁護士お母さんは

「息子は悪くないそうです」

「一方的に謝らせるのは・・・」

と言います。

 

すると検事の妻は

 「悪くないですって?」

と激高します。

 

しかし弁護士お母さんは言います。

 

「そちらが先に手を出したと聞きました」

「机で息子の事を押したそうですね」

 

 

⑤続けて、弁護士お母さんは

 

「こちらも顔にケガをしたんです」

「お互いさまです」

と言います。

 

すると検事の妻は

びっくりした顔で

「信じられない」

と言います。

 

そして弁護士お母さんは

学校の先生に

 

「いい子だけがいるなら

楽でしょう」

 

と言います。

 

 

 

⑥そして弁護士お母さんは

 

「学校は何のためにあって」

「先生は何のために?」

と言います。

 

すると担任の先生は

 

「何が言いたいのか?」

と言います。

 

 

⑦そして弁護士お母さんは

 

「うちの子が悪い影響を及ぼすから、

(学校の先生は)

うちの息子に対しての

いじめには知らんぷりですか」

 

と言います。

 

検事の妻はそれを聞いて

「いじめだなんて」

と言います。

 

すかさず担任の先生も

「誤解をされているようです」

「それは子供たちがまだ幼いからで」

 

と言いました。

 

⑧弁護士お母さんはそれを聞き

「幼くても分別はあります」

「うちの息子は理由もなく

人を叩きません」

 

と言います。

 

すると検事の妻は

「いい度胸をしてるわね」

と言います。

 

それを聞いた

弁護士お母さん、遂に

「こんな学校に息子を

通わせられません」

と言います。

 

 

⑨続けて弁護士お母さん

「子供を悪者扱いする方を

先生とは呼べません」

 

検事の妻が

内容証明だ訴訟だと

騒いだ事を受け

「訴訟でも告訴でもご自由に」

と言います。

 

そして教室をさっそうと去ります。

 

残された担任と検事の妻は

「何なのよ」と憤ります。

 

 

⑩検事の妻は弁護士お母さんの事を

「なんてふてぶてしい」と言います。

 

場面は変わり、

教室の外で待っていた息子に

弁護士お母さんはこうに聞きます

「あなたの事を信じてるわ」

「理由があってやったのよね」と。

 

すると息子は同級生を怪我させた理由を

語ります。

 

その後お母さんは

ギュっと息子を抱きしめるシーンで

このチャプターは終わります。

 

 

 

  自分が弁護士お母さんの立場だったとしたら?

 

ドラマとはよく出来ていますよね。

このようなチャプターを見ると

スカッとする何かを映像にする

技術はさすがです。

 

ところで、

自分が弁護士お母さんの立場

だったらどうでしょう?

 

ここで私が考えたいのは

この弁護士お母さんのように

立ち振る舞えたら

スカッとするよな~

というような視点では

ありません。

 

「べき」で固まっている

人間が目の前に居る。

そんなモヤモヤした時の距離の取り方です。

 

 

  「べき」で固まっている人への距離の取り方 令和6年Ver.

 

このような類似場面、

子供の事だけでは無い場面でも

もしかしたら

経験した事がある方も

いらっしゃると思います。

 

少なくとも私は何回も人生で

経験しています。

 

何回も経験をした

過去を振り返ると

今思えば、「べき」で

固まっている人たちと

対峙した後は必ず

 

・「悔しい」

・「何なの!ひどい!」

・「言いたい放題いってくれるわね」

・「どうしたら仕返しができるのか」

・「どこに愚痴を吐こうか」

・「誰なら私のこの傷ついた心に

  共感してくれるだろうか?」

・「私ひどい目にあったよね」

・「私は悪くない」

・「相手が悪い」

・「相手がバカだ」

・「ふん!バカな人間と関わっていられないわ」

・「でも怒りが収まらない!」

 

こんな事を考え、

ひたすら自分は悪くない

相手が悪いんだと考え、

あった事を話して

共感してくれる人が

いるなら話してスッキリ

するという行動をしていました。

 

ただ、

「自分は悪くない」

を全面に押し出していた時の

行動、感情の動き自体、

それもまた私自身を

労わっていただろうか?

と自問するようにもなりました。

 

もっと具体的に書くとすれば

 

「辛い事があった自分へ、

自分自身が自分の

気持ちに対して労わろうと

行動しただろうか?」

 

です。

 

そして、ここから

距離の取り方

 につながります。

 

 

  距離の取り方とは?

 

「距離」

 

ここでは

自分と他人との距離

では無く

 

自分と自分の思考との距離の取り方

について書き記したいと思っています。

 

具体的に説明したいので

上記の韓国ドラマの各場面から

説明していきます。

 

 

  自分と自分の思考との距離の取り方韓国ドラマハイクラスから考える

 

(1)モヤモヤ感情が動く場面

 

担任からお宅の息子さんは

クラスに悪影響を及ぼす存在だと

言われる。

 

担任にこんな事言われたら

かっちーんと来ますよね。

 

でもまずは、その言葉を聞きます。

 

「ああ、

目の前の息子の担任は

私の息子がクラスに

悪影響を与えていると

言っているんだな」

 

と目の前の事実を捉えます。

 

 

(2)モヤモヤ感情が動く場面

 

担任の先生と

結託した検事の妻が

「お宅の息子さんから受けた、

私の息子の心の傷を考えると・・・」

と。

 

こんな事言われたら、

心が動揺しますよね。

 

でも、動揺なんて

する事はありません。

 

「ああ、

目の前にいる

この検事の妻は

私の息子から

何らかの行動を

受けた事によって

傷ついた

自分の息子の

心の傷の事を

考えているんだな」

 

とただ

目の前の事実を観察します。

 

この時、

自分はただ観察

しているだけなので

自分の気持ちが

委縮する必要はゼロです。

 

ここで委縮したり

怒りを感じたりすると

自分から発した思考と

自分との分離が生じ

自分と思考との

距離が大きく開いてしまいます。

 

 

(3)モヤモヤが動く場面

 

どうやら、

弁護士お母さんの息子は

検事妻の息子に先に手を

出されて怪我をするような行動に

繋がった様子。

 

でも検事の妻は、

 

・うちは被害者

・うちの息子の心の傷を

どうしてくれんの?

・うちの息子にお宅の息子から詫び入れろ

 

簡略的に書くと

このような事を要求します。

 

こういう場面、

ドラマの中じゃなくても

あるあるの

ような気がしますね。

 

しかし、私的には

謝ってよと要求する人

には決して近づいては

いけない!

とも思いますが、

それは置いておいて

 

「ああ、検事妻は

私の息子から詫びを

入れさせたいと

思っているんだな~」

 

と、また

目の前の事実を観察します。

 

観察している時には

自分と自分の思考の

距離が無いので

事実を事実として認識

できます。

 

 

 

(4)モヤモヤが動く場面

 

一連の流れから、

息子をこんな学校に

おいておけない

と思った弁護士お母さん。

学校を辞めさせる事を

伝えるとすぐに

 

「誤解です!」

 

と、担任の先生から言われます。

(私は一番この先生がモヤモヤしますがw)


 

いえ、誤解はしていません。

この担任の先生は、

チャプター最初に

「お宅の息子さんが

クラスに悪影響を

与えている、

ここは有名校」など

言っていましたよね。

 

私なら子供を

こんな風に言う担任が居たら

●××して×●××して・・・ムキー

 

話が横道に反れました。

 

担任の先生、

誰も誤解してませんって。

 

だってあなたは

「いじめ」

というキーワードが出た瞬間

 

「誤解です!」

 

と言い始めました。

 

 

<担任>

「弁護士お母さんの息子は悪影響」

 

 

<弁護士お母さん>

「いじめには知らんぷりですか?」

 

<担任の先生>

「誤解です」

 

 

 

こういうやりとりって

ありませんか?

 

ズバリ!という言葉を出されると

「誤解です!」と言う場面。

 

誤解では無いです。

だって、担任の先生は

弁護士お母さんの息子がクラスに

悪影響を与えると認識しています。

 

もしも!

担任の先生が悪影響を与える

という根拠や事実をを自ら

知ろうとしたり確認していたら

 

検事妻側につかなかったと

思います。

 

検事妻の側の言い分だけ聞いて

ケガをさせた、したの行為を

一方的に家庭環境が悪い方の

お母さんが悪いと主観で

決めつけていた事を認めたく

無いから、

 

それを見破られたくないから

果てはいじめを見逃した事実を

認めたくないから

 

「誤解をされているようです」

と反論したのです。

 

話を本筋に戻します

 

誤解をされているようですと

言われた時にもモヤモヤすると

思います。

 

そんな時にも

 

「この担任、誤解をされている

ようですと言ってるな~」

 

と観察します。

 

怒りも湧いてくるのもわかりますが

まず観察します。

 

 

  だから観察と距離とど~に関係あるの?

 

タイトルに距離の取り方と

書きましたが

私が書きたかった距離

というのは

 

自分と自分の思考との

距離の取り方

 

でした。

 

距離を取るというと、くさい物に

蓋をするとも、嫌な事、人を

寄せ付けないようにするとも

とれる印象がつきがちです。

 

しかし、上の韓国ドラマの

チャプターの

モヤモヤ場面を

深堀していく事で

「モヤモヤ、怒り」

この類の感情が

起こった時、

 

そのような時には

どのように自分の思考と距離を

取ればいいのか?


という事を

お伝えしたかったのです。

 

まとめとして、

自分と自分の思考

(この場合モヤモヤ)

との距離の取り方は、

 

ステップ1:

目の前の現実を

現実のまま観察する事。

 

ステップ2:

思考(この場合モヤモヤ)

が今の自分にはあるんだな~

と俯瞰する事

 

が有効だと思います。

その後のステップも

もちろん存在しますが

まずは距離の取り方

いう事において

人との距離ではなく、

自分と自分の思考との

距離を取ると視点を変えてみると、

目の前に違った世界が

広がると私は思っています。

 

モヤモヤとは

距離取って生きていきたいですね☆

 

長文すぎたグラサン

アガってこーぜー!!!おやすみぃ!