小さいころ何かして怒られると、すぐに間逆のことをして

「極端!」ってまた怒られてた。


うるさいって言われたら、ありえないくらい静かに床を歩いたりする。

遅いって言われたら、ありえないくらいせかせかする。

「極端」


今までこの単語を結構ネガティブなものとして扱ってきたけど、最近俺は、人はみんなある部分では「極端」であるべきだと思う。


俺が言ってるのは、もちろん完全な極端じゃないです。

極端すぎる思考が、世界に悲劇をもたらしてきたっていうのも否めないと思う。

でも、一般的に「すごい」といわれる人たち。

彼らは意図的にミクロレベルでの「極端」を使いこなしているように思う。

全体としてはバランスを取っているように見えるけど、実はとんでもない極端の集まりだったり。

それが具体的に、「普通の人がすることを、普通の人がしないレベルで実行する」ことにつながったりするのかも。

北大で講演してくれたある経営者の方がこんなことを仰っていた

「俺はテレビのネタとか全く分からんけど、経済については人より絶対分かる。人の知っていることを知っていることに価値はない。人の知らないことを知っていることに価値があるんだ。」


全くその通りだと思う。


もちろん基本知識の上にしか成り立たない知識もある。

だからこそ大学教育ですら、一般教養を大事にしているわけで。

(もっともあの教育が本当に価値があるかというのは、また別の話だとは思うが)


ただ、その一般教養というある程度万人に共通している知識のみを身につけることで満足してしまっていては、付加価値は何も生まれないということもたしかだと思います。


それならば、人と違う、自分を差別化できる、そういうある意味で極端な知識も身につけるべき。

言うまでもなく、極端な行動は極端な結果を生みます。

この「インドでのインターンシップ」という少々極端な行動が、

これから何十年か続いていく自分の人生の中で、極端な結果として現れてきたらいいなぁ、なんて考えています。


実際そんな予感にわくわくしています。