人は勝つこともあるし

負けることもある

でも

その深みを

理解できていれば

人はたとえ

負けたとしても

傷つきはしない

人はあらゆるものに

勝つわけには

いかない

人は

いつか必ず

負けまる

大事なのは

その深みを

理解すること

勝ち負けばかりを

気にする人間になると

勝ったも

負けたもない

事柄についても

勝手に

負けたと

思い込んで

すごく落ち込んだり

勝ったと浮かれて

有頂天になったり

心はとても

忙しくなる

そんなんだから

勝ったことの

深みとか

負けたことの

深みとかを

理解する

どころじゃなくて

どうやったら

勝って

有頂天になれるか

ずっと

考えるようになる

そんなとき

勝ち目がないと

分かったら

どんな行動に

出るか

もしかしたら

考えに考えて

汚い手を

思いつくかもしれない

そして

勝つために

それを実行して

しまうことも

そこには

間違いなく

深みなんてない

そして

そういう人々は

ひろい世界で

強くなり

勝てる人間に

なれるわけじゃなく

いつまでも

狭い世界で

セコセコとした

勝ち負けに終始し

ずるいとか

だまされたとか

そんな言葉が

口癖になるんだろう…

本当は

自分が

ずるかったり

汚かったりするのに

深みの分かる人間で

いたい
もし

なんて仮想の話ほど

くだらないものはない

もし

あいつと

同じ力があったら

もし

あの時

こうしていたら

もし

別の生き方を

選んでいたら

くだらない

百万回唱えても

なに一つ

変わらない

親には

ちょっと

申し訳ないけど

もし

この親じゃなかったら

と思った時が

何度もあった

自分の親を

ひどいヤツだと

思う人は

きっと

少なくないだろう

たいして

珍しい話じゃない

ただ

そのひどいっていう

ことにも

いろんな

種類があるから

そう思うことが

必ずしも

恩知らずとか

言えることとは

限らない

言えることと

いえば

自分の選べた

もし

よりも

自分が

選べなかった

もしは

もっと

意味がないということ

与えられたものは

乗り越えて

いくしかないわけで

自分で

選べたものだったら

失敗と

分かった時点から

改めていけばいい

そもそも

もし

という言葉が

思い浮かぶのは

そう考えてしまう事態

もしくは

解決しなければ

いけない問題が

目の前に

あるからであって

そういう

シーンにおいて

もし

ばかりを

考えたところで

現実は

何にも前には

進んでいかないのだ

今出来ることを

1つ1つやっていく

そういうことでしか

目の前の

ことは変わりようがない

もしの

パターンを

いくら増やそうとも

それしかないのだ
運命は

ミスをする

可能性もあるし

変化する

可能性があるから

人間の運命は

変わりうる

ですから途中で

生を投げ出して

しまったら

変わるはずの運命と

出会うこともできない

変わるはずの運命

ということを

信じられない人が

いると思う

変わらない

運命ばかりに

打ちのめされてきた

気がするから

変わる

ということに

自分を

ゆだねられないのだろう

自分に

かかわることを

変わると

信じられるか

変わらないと

思い込んでしまうか

その理由の一つに

時間のつながりって

いうものを

人間は

忘れやすいんじゃ

ないかと思う

今の瞬間しか

見えなくなる

今が止まったまま

ずーっと続く感じ

ある意味

頭のなかでの

足し算が

不得意と

いうことかも

しれない

1に1を足せば

2になり

2に1を足せば

3になり

3に1を

という感じの話が

私の持っている

1には0しか足せなくて

あの人が

持っている10にも

0が足されて

ずっと

このままなんだ

みたいな感じで

誰の時間にも

1分

1秒は

いつも

足し算されていて

その

しっかりと

足された時間は

何かしら

新しい出来事を

いつも生んでいて

それは必ず

自分にも及んでいる

そういうことを

忘れちゃ

いけない