一昨日の午前中、朝から重なっていた予約でバタバタと仕事をしていたらお昼時に携帯が鳴った。。。
だれっ???と思って携帯の待ち受けを仕事しながら横目に見たら、弟の顔写真・・・・・・・・。
あれっ???っと思いお客様に失礼して電話に出てみたら、近所まで来ている・・・とのことで、手が空き次第かけ直すと言って電話を切った。
 
仕事が一段落してかけ直すと、すぐ近所にある100均を物色してたけど、今から行ってもいいかと言われ、ちょうど昼過ぎは開けていたのでOKする。
 
弟はその後すぐに着いて家に入った。
 
先日入院したのを心配してきてくれたのかな~?とか、申し訳なかったな~~と思っていたら・・・。
 
その予想は外れ(^^;)、・・・弟は現状に詰まっての訪問でした。
 
家に入って腰を下ろすとすぐに、昨夜あったことを話し始めました。
 
弟が以前働いていた職場は、原発が爆発した所の中だったので、会社の上司から、仕事的には残したいけれど年齢的にも安全を考えて将来的にも自主退社にした方が良いのではないかと言われ、退職した。
その後両親と群馬に行き、両親の世話をしながら職安通いをしていたが、弟がけっこう資格を多く持っている事と、年齢的にも中途半端な仕事を斡旋したくないと係りの方に言われ続け、その当時はまだ賠償金も入っていなかったので、退社後は失業保険を活用して生活をしていた。
そのうち両親は南相馬市の仮設へと移動し、それでも弟は原発が原因で人生が変わってしまった所には帰りたくないとひとり群馬に残っていた。
その後半年後に、南相馬市で定期的に被災者中心に行われる検診で血糖値が高くなっていて糖尿予備軍とのことで早期治療をしましょうと言われ南相馬市の仮設へと戻ってきた。
 
弟は私の所に来るたびに、仕事はしたいけど除染の仕事ばかりでやりたいと思う仕事がないのだとこぼしていた。
以前ブログにも弟の血糖値の事は書いたが、その治療の早期インシュリン注射のおかげで、今は正常値でも低いくらいの安全値になり注射治療も終わったらしい。
なので、弟なりに日々焦りもあって職安通いをしていたらしいが・・・。
前の晩に、一杯気分で盛り上がった父が、弟に対して、「いつまでプー太郎で居るつもりなんだ、このプー太郎!」となじったらしい。
教師だった父には技術職のことはよく理解できない所もあって、私などは昔から褒めてもらえたことはない。
慣れていたので私はスルーしてきたけれど、弟も一緒に飲んでいて勢いづいて、「それなら郡山あたりに行くからいい!!」と言ってしまったらしい。私にしてみたら、父も冗談でふざけて言ったのだと思うのだが・・・。
男どうし、頑固なところは兄も弟も、そんなところは父によく似ているものだといつも思ってしまう。
 
弟は私に「「今朝、母さんに試しになんとなく、「俺、郡山の職安に行ってくるから」と言ったら、母さんから、「止めないから自分の好きなようにしなさ」って言われてさ、本気で言った訳じゃないのになんだか淋しいよね~」」と。
 
弟は特に、母が持病での長期入院から解放された年代に自分で育てた子だったので親子の絆は特に強いのだ。
 
今、弟は兄と二人で仮設暮らしをしているが、兄は昔から一切家事をする人じゃなかったので(昔は私が兄の分までやらされていた)、弟がご飯の準備から片づけ洗濯までしているらしいが、弟としては、そんな兄が両親に何かあった時に動いてくれるとは思えないから、特に障害者の母の事は生きてる限り守ってあげたいと思っているらしい。
今になって、きっと弟にも私が母の看病と祖母の介護をしていた頃の苦労は解ってきたのではないかと思う。
当時は忙しいが故に洗濯物の出す時間などをお願いしても、弟はまったく聞いてくれずに、仕事と介護の合間に何度も家事で忙しかったものだが、そんな私の立場も少しは理解してもらえたのではないだろうかと考えてしまう。でも、弟は介助したりしてくれたので助かってましたが、その点、兄夫婦は看病も介護も一切手伝ってはくれませんでした。
もし、両親に何かあればきっと必然的に私も行くようになるだろうとは今から考えている。
 
ま・・・要するに弟はしてしまった行動が辛いのと淋しいのと、それから思うように生きれないストレスが、仮設の狭い中に居て気持ちが爆発しそうになってしまったのだと思う。
その後、近所のラーメン屋さんで御馳走してあげて・・・・と言いたい所だが弟がゴチしてくれた(^m^;)♪
弟がこぼすことをひたすら「そうなのね~」と聞いてあげた。
家に戻りコーヒーを飲ませながら話しをしていたら、だいぶ落ち着いたのか、「いいね~やっぱり家は広いとせいせいするね!姉ちゃん忙しい所ごめんね」・・・と。
なので弟には、「お母さんも何かあると私に話してくるはずだから(弟)が昨日と今朝言った言葉は本心じゃないことをお母さんに電話しておくから、これからも両親のこと見守ってあげてね」とお願いした。
それから、「心が詰まったらいつでも来たらいいんだよ」と言ってあげました。
 
暗い表情だった弟も帰りには笑顔になりながら帰っていきました。
その後すぐに母に電話をして、父がそばにいないことを確認したうえで弟の本音を伝えたら、母も心配していたので、安心したと言っていた。母はポジティブなのでいつも明るい声で話してくれるのでホッとする。
いくら家族といえども疎通しあえない所もあるが、助け合って生きてゆけることはやっぱり幸せなことなのだとつくづく思わされます。
 
艱難汝を玉にす
 
自分もまだまだ乗り越えなければいけないことが盛りだくさんだけど、ひとつひとつなんだよね(^-^)
 
弟が帰るのを見送って、実は午後から検診予約の日だったのでバタバタと病院へと向かいました。
 
いつまでも家族が仲良く元気で過ごしていて欲しいと願うのでした。
 
                   
                  
                                 
                  そして我が家の娘達も元気もりもり過ごしております♪
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                   うう~~けっこう、重いのだ~~~~~~~~~(^m^;)