ヘレン・ケラーさん(1880~1968年)は、日本に対してすご~く親しみを抱いていたようです。その理由は江戸時代の盲人学者、塙保己一(はなわ ほきいち)さんの文献を読んでいたから。
「日本の盲人は幸せな生き方ができていたんだなぁ」
「日本って、物欲じゃなく精神的なものを大事にしている国みたいだなぁ」
「いいなぁ...ジャパン...」
ヘレンさんは来日して塙保己一さんの木像に触れた時、「先生のお蔭で障害を克服することができました!」 とおっしゃったそうです。
さて今回の主役は、そんなヘレンさんを立派に教育した、世界的には家庭教師のトライよりも有名な家庭教師、アン・サリバンさん(1863~1936年)です。 サリバン先生は度重なる不幸な幼少期を過ごしていました。
①トラコーマ(クラミジアが目に住みつき、炎症を起こす病気)を患い、ほとんど目が見えなくなる
②無学で大酒呑みな父を持つ
③母親が9歳の時に亡くなり、弟と一緒に施設に預けられる
④弟を結核で失くす
⑤うつ病になってしまう
鬱状態になって、食事を拒み、緊張型精神分裂病に苦しみ、死を願ったサリバンさんは、病院の看護婦にキリスト教の教えを説かれて、徐々に心を開いていったと言われています。心の大きな打撃を受けていたこの時のサリバンさんは、とてもじゃないけれど「愛」など授けられる状態ではありませんでした。
しかし、施設にたまたま見学に来ていたお偉いさんに「私はどうしても勉強がしたいの!」と強い願いを訴え、アメリカ初の盲学校、パーキンス盲学校で勉強させてもらう事ができたのです。(14歳)
ほとんど目が見えなかったサリバンさんでしたが、何度か目の手術を行い、少しだけ見えるようになりました ✨ 勉強熱心だったサリバンさんは盲学校で、「目が見えず」「耳が聞こえない」ローラさんと出会います!ローラさんは障害を克服し、指文字で会話ができるようになっていたのです。
この出会いが大きかった!
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二十歳になったサリバンさんは家庭教師の要請を受け、「目が見えず」「耳が聞こえない」ヘレン・ケラーの教育係を担当する事となったのです。
サリバン先生は幼いヘレン・ケラ-をひざの上に乗せて、
「愛とは何ですか?」 と質問します。
三重苦のヘレンにとって抽象的な概念を理解するのは非常に難しいことでしたが、
その時ヘレンはこう答えたそうです。
「サリバン先生が初めて私の家に来てくださった時、
私の頭の上に何か温かいものが流れ落ちました。それが愛です。」
これまでどうすることもできなかった閉ざされたヘレンの心の扉を開いたのは、サリバン先生の愛だったのです。
使命感は人から人へと伝わっていきます。劣悪な環境(障害)を原動力にして...
将来生まれてくるであろう障がい者の幸せのために...
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アン・サリバンの少女時代は家庭の温かみを味わうどころか「貧困」「家族の死」「家庭の崩壊」「失明」「鬱」「精神分裂症」…幸せとは縁遠いものだったのですが、
そんな彼女がなぜヘレンを救うことが出来たのでしょうか?
サリバン先生は手紙の中でこう言っています。「自分が世の中の役に立っているとか、誰かに必要とされていると感じることは大変なことです。ヘレンはほとんどすべての点で私を頼りにしてくれますが、このことが私を強くし喜ばせてくれます。」
アン・サリバンにとってヘレンは、弟を失って以来はじめての、本当に彼女を必要としてくれる存在だったのではないでしょうか。着任当初は非常に厳格だった彼女は、ヘレンを闇からすくい上げるその過程において、自分自身をも救っていたのかもしれません。
「そんな事どうせ出来っこないんだから許してやって下さい」
そう訴える両親に、
「いいえ、出来ます!」と宣言し、普通の子供のように接し、最高の愛情を込めてヘレンを教育していったのです。
苦しみを乗り越え、暗闇の中で苦しむヘレンの光となったサリバン先生...
【サリバン先生の言葉】
① 失敗したら初めからやり直せばいいの。そのたびに あなたは強くなれるのだから。
If I fail, it should be redone from first.
Because you can be the travel hard.
Because you can be the travel hard.
② もっとも暗い雲の下でも、人間は清らかに美しく、楽しく生きられる。
Man is good-looking, is funny and lives clearly under the darkest cloud.
③ 喜びは自分を忘れる事にあるのよ。
Delight is here to forget oneself.