ドラマツルギー:演劇用語で「作劇法」「上演法」
それが転じて社会学的な意味合いを持つ言葉になったらしい。
ドラマツルギーの社会学において、人の行動は、時間・場所およびオーディエンスに依存しているとされる。言い換えれば、自己とは、自分が誰であるかの感覚である。そしてそれは演じられている場面の瞬間から現れるドラマチックな効果なのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ドラマツルギー_(社会学)まぁどうやらそんな言葉があるらしい。
よく自分が何者か分からなくなる時がある。
いわゆる自分のアイデンティティとかいうものを今になっても定期的に見失っているように思う。
というのも自分の在り方なんて環境やら状況やら関わる人によって、いとも簡単に変わってしまう。
家で過ごしている時。
人とご飯を食べている時。
仕事で人と接している時。
それら全部まるで別人のようで全部きっと私自身。
当然印象の受け取られ方も全然違う。
「血液型」「星座」「兄弟構成」
「運動部か文化部」「理系か文系」
「MBTI」「BIG5」
よくいろんなイメージや診断で行動特性を分類して人は納得したりする。
だけどその一面だけが全てではないから、そういった情報とのギャップだったりは深く関わっていけばいくほど生まれてくるものなんだと思う。
要するにドラマツルギーという考え方を参考にすると。
生きているその時々で私たちはそれぞれ舞台に立っていて。
観客の皆様を少なからずどこかで意識して自分の在り方を決めているらしい。
それならいくらだって自分のなりたいように演じていけるんじゃないかって思うから。
どうなりたいかって姿は大事だなって改めて思った。
ただ表舞台に立ち続けられるほど、私は強くないから。
上手く演じ続けられるように、いわゆるバックステージで素の自分でいられる時間も必要かもしれない。