承認欲求というかなんというか。
自分で自分を肯定することが出来ないタイプの人間は。
きっと、誰かから求められないと自分が存在してもいいと思えない人が大半なんじゃないかって思う。
そうなると周りからの評価がなぜか「優しい人」になっていくことが多かった。
いつからかその優しいって評価は、周りの人にとって「必要な人」なんじゃなくて「都合のいい人」でしかないんじゃないかって思えてしまって。
いいように使われてることが分からないほど愚直なままでいたかった。
人の役に立てる自分に酔っていたかった。
メサイアコンプレックスなんて言葉もあるけど。
自己肯定感が上がるよりも早く、苦しさが勝ってしまった。
慕われてるんじゃなくて便利なだけだって分かってしまった。
誰かにとって大切な存在になりたかった。
本当に必要ならきっと大切にする。
そんな大切な人を粗末に扱ったりなんかしない。
私はただ、いいように使われてるだけ。
「責任感がある」ってのもきっと同じ。
一度任されたら投げ出せない。
そもそも断ることもできない。
周りから見たら今を疑問視したり不満を抱くことがないと思われているかもしれない。
使い捨ての代替品に丁度いい。
そうやってある種、信頼されているのだと思う。
疲れているからなのか自分を肯定するような言葉でさえも裏を読みたくなってしまう。
報われたかった。救われたかった。
我慢がいつの日か実を結ぶと信じたかった。
努力して良かったと笑えるようになりたかった。
自分が存在してもいいと思えるようになりたかった。
だからずっと「いい人」であろうとしてきたつもりだけど。
そうあり続けるだけの体力も気力も私にはなかった。
「善因善果」なんて疑わしい。
「頑張れば報われる」なんて言い出したのは誰だろう。
なんでそんな言葉に期待してしまったのだろう。
頑張れば頑張るほどに、残るものなんてあった試しがないのに。
頑張ることで必ず報われるわけじゃない。
そのままの自分を肯定することは難しい。
自分で、自分が頑張った、間違ってなかったと思えるような努力をして。
そうやってもがいた、普通で凡庸な自分を自分自身で認められるように、自分で納得できるようにならなきゃいけないのだと思う。