チェルノブイリの原発事故についてスイス制作のドキュメンタリー短編映画がある。

「The Sacrifice サクリファイス ー 犠牲者ー事故処理作業者(リクビダートル)の知られざる現実」
という2003年制作のもの。

 http://penelopes.exblog.jp/16849386/ 

たまたま、この方のブログで見てショックを受け、facebookにも転載した。

原発事故があってはならない被害を及ぼすことは、311福島後にかなり学習をしてきた。

この映画を見て原発被害そのものとは、別のことを考えた。

チェルノブイリはベラルーシという旧ソ連邦の国にある。
事故後、ベラルーシ、ウクライナあたりに放射能(被害も)は強く残っている。

当時の事故処理作業者たちは60万人ともそれ以上とも言われる事故処理作業者は処理が終わると、旧ソ連邦の各地にバラバラに帰って行った。

そうなってしまえば放射能の影響による健康被害がどうなったのかも把握できない。あえてそうした可能性もある。

また、その後に起こる補償が莫大となり、半永久的に続く可能性が判明する。

では、その国家補償は?と考えた時に施政者はどう判断するだろうか?

爆発した原発の処理も数世紀に及ぶと判明し、その処理費に加え、人体に及ぶ影響への補償と合わせ、それが天文学的数字になると判明したら?

社会主義の限界、民主化圧力、経済破綻とか東西冷戦の終焉など、そんな高尚な話ではなく、これから数世紀にわたるとんでもない責任負担を、ソ連邦を崩壊させることによって吹き飛ばしたのかもしれない。

上記短編映画を見て、ふと考えた。