NHKスペシャルで放映された、法隆寺金堂再建の謎は、大変面白かった。


焼け落ちた後に再建されたという定説が、科学的調査によって、実は元の法隆寺が立っていた時に、その近くの土地を切り開き夢殿に救世観音像と釈迦像などを移していたことが判明している。その後に焼け落ちて、現在の位置に建て増しをしていったということ。また、その仏像二体は聖徳太子を模して作られたということ。


天智天皇時代に朝鮮半島には百済、新羅、高句麗。大陸の唐が盤石な政治体制で隆盛を極めており、朝鮮半島での白村江の戦いで、圧倒的な軍備、統率された戦法により敗れ、国を守る意味で仏教を中心とした国家建設のため、聖徳太子が進めた仏教の伝播を、改めて推し進めたという。歴史の教科書が塗り替えられる発見だそうだ。


(ウィキペディアより、以下引用)

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、663年 (天智2)8月に朝鮮半島 の白村江(現在の錦江 近郊)で行われた倭国 (後の日本 )と百済 の遺民の連合軍と新羅 連合軍との戦い。唐・新羅連合軍の勝利に終わった。

・・・(後略)


色々な宗教を勉強して、自分は仏教徒であると言えるようになって後、いろんなことがわかってきた。偉大なる宗教家たちは、中国仏教の経典は勿論、インドのサンスクリット言語で書かれた経典も学習した。そして、その一部の宗教家は民衆を救うためにいろいろ研究して、それぞれの宗派が確立した。



(またまた、ウィキペディアより、以下引用)

サンスクリット(Sanskrit, संस्कृत saṃskṛta)は古代中世 に、インド亜大陸東南アジア において公用語 として用いられていた言語 。現在のインド の公用語の一つでもあるが、古典言語 であるため現在日常語としての話者はほとんどいない。

日本 では、一般には言語であることを明示してサンスクリット語と呼ばれる。また、古くは梵語(ぼんご。ブラフマン の言葉)とも呼ばれた。

・・・(後略)


現在、西日本新聞で毎日掲載されている五木寛之が著わす「親鸞」もその一人。親鸞には聖徳太子が現れ、お告げを受けた方。大衆を救うため苦悶しつつ開眼し、浄土真宗を開く親鸞の物語で、新聞ではちょうど法然との絡みに入っている。(毎日、きっちり読んでおります)


仏教による国づくりを進めようとして、後に迫害を受ける形になった聖徳太子。その後、改めて仏教を国づくりの中心に据えた天智天皇の時代。そして、親鸞へと繋がっていく。


NHKの番組を見て奈良時代を偲びつつ、奈良に行き法隆寺を訪ねねばならないと強く思った。


再放送ももう一度見ましょう!

奈良にも行かねば!