昨日が春節(旧正月の日)で、中国は本日も休日だ。
旧正月と言っても若い世代の方はピンと来ないかと思う。
小生が子供の頃だから、1960年過ぎごろまで日本でも旧正月をお祝いをしていた。
または、旧家である我が家や、近所の農家でもお祝いしていたことが、小生の淡い記憶の片隅に残っている。
物が無い頃の日本のお祝いだから、餅をつき、雑煮や餡入り餅、きな粉餅など食べ、家で飼っていた鶏の首を絞めて、鍋や、柏ごはん(鶏飯)を食べるという、当時のご馳走にありついていた。
現在、旧正月が生活習慣から消えていったのは、日本文化はダサいもの古いもの、精神文化も全体主義につながる良くないもの、欧米文化が上、日本文化は劣っているもの、という占領軍(GHQ)が進めた「ジャパン・プログラム」(マインドコントロール政策)によって日本人に次第に浸透し、オリンピック開催あたりの1964年頃には、旧正月もかすんでしまったのだろうと考えられる。
小生が提言したいのは、我が国の将来ビジョンを見据えた政策の一環として、旧正月を休日にする意味が大きなものであるということ。
明治維新以降、脱亜入欧で富国強兵策をとり、列強の支配を受けることなく日露戦争に勝利して後、列強支配からアジア諸国を民族独立に向かわせた世界唯一のアジアの東の果ての小国日本。原爆二発も落とされてもなお、戦後アメリカの支配下に置かれながらも国民の血と汗と涙で奇跡の復興を遂げ経済大国となった日本。近年のアジアの興隆によりもたらされる「ルック・イースト」「日本に学べ」といった志向がアジア・中国のみならず、改めて欧米からも見直されている現実。
そういった背景から、現代国際社会において、わが日本国が世界の中で、またアジアの中でどういう存在であり、隣国、アジア周辺域国、欧米やアフリカ、中南米の国々とどう向き合っていくのか。こういった国際関係をしっかり見つめ直して、新たなるパラダイムを自ら切り拓くべき時期に、まさに直面しているということ。
中国や北朝鮮、ロシアの脅威ばかりを煽られて、安全保障をアメリカ支配下に置かれたまま責任国家としての独自外交を進めず、金融や国内経済政策などもアメリカのお伺いを立て続ける日本。こんな現状がいつまで続くのか。小生はそろそろ転換して、アジアの兄弟親戚たちと多少ぎこちない関係があったとしても、親密な関係をもっと進めるべきで、開かれた独自外交の道を選択すべきだと思う。
そういったアジアとの関係重視という意志表示を形にすることで、アジアの各国の人々からも、やはり日本もアジアの一員なんだなと親しみを持ってもらえるし、アジア各国からの日本在住者(就業者、留学生、出張族、国際結婚した人たち、など)も、一日だけであっても休日であれば楽しめる日が持てる。日本人にとってもアジアの人々との連帯意識も高まる。
これからも、周りを口説きながら(と言ってもまずは、居酒屋談義ぐらいから)、「旧正月を国民の休日にする会」を広めたい。
「旧正月」が古めかしく感じるならば、中華圏と同様に「春節」と言えばいい。
ただし、アメリカとしては、できれば日本のアジア重視が進むことは止めたいのだろうとは思うが・・・