日曜日、母親が行きたいという能見物に付き合った。


あなたが一緒に行かんなら人に券を譲るとか言って、自分が行きたい気持ちでの誘いにほだされ、足の弱った母の運転手ついでの親孝行と決め込んだ。母親も最近、小生がお茶や着物の文化に傾倒してきたことを知っての勧誘だから、一口乗ってのこと。


会場の大濠公園能楽堂は福岡市が誇るとても立派な舞台だ。この能楽堂へは、モンゴルの歌唱鑑賞以来、二度目だ。

行けば、お客はほとんどご年配の皆さんばかり。60歳以上の方が80%以上だろう。

いつの時か自分が子供の時に学校で、狂言舞台を見たことは一度ある遠い記憶があるが、本格的な能舞台はこの日初めて。


粟谷菊生三回忌追善、粟谷能の会福岡公演というタイトル。

流派は喜多流。ちなみに母は観世流。小生の叔父は名人で、喜多流とは知っているが、それ以上のことはチンプンカンプンだ。

 

(開演前)日本建築の見事さ!      (開演)出演者の内、大鼓の奏者だけは、着物の博多一十の式典、パーティで見たことがあったが、他の方は知らない人ばかり。              

 

舞囃子というそうな。題目は海人、続いて松風。狂言は鐘の音。面白い。ハキハキした口上が良い!


 

休憩の後の能の題目は忠度(ただのり)。平忠度の霊が・・・。


なるほど、実に奥深い。


舞台の上の板の間の地謡たちも正座のまんま動かない。そして、一つ一つの動作すべてが、登場から退場まで、完成型で非の打ちどころが無い様式美、そのもの。

これも日本が世界に誇れる芸術文化の最高峰の一つだ。


日本文化は世界で比類の無い、成熟した大人の文化だ。演じる側も観客も、子供じゃとても付き合えない。

耐えることの尊厳、精神性を否が応でも教えてくれる。

自由主義とかで躾らしい躾を教えられてなければ、耐えれるはずが無い。


途中二度ほど睡魔に負ける瞬間もあったが、それは周りの皆さんもほとんど同じ様子。

1時開演終わって4時!三時間もいたわけだ。


文化に浸り、居眠りもあり、という貴重な文化体験であった。

一度観ての正直な感想は、能鑑賞の観る目ができる日は遠い。・・・と感じた一日でもあった。

この機会を与えてくれた母上に感謝!