焦点 | just the way i am

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 思考雑多で何にも縛られない自由な人間が綴る自己充足的な文集。




僕の話をします。





因果関係

それはすべての結果(出来事)に付帯している原因(切っ掛け)
そしてその原因も一つの出来事であるから、原因が伴う。






原因を選択肢に変換して考えればこう。


あの時あの選択をしたからそうなって、
その時その選択をしたからこうなって、
ここで今選択を迫られている。


あの時とここには直接的因果関係はないけど
あの時とその時、その時とここを通じて繋がってる。



人生もそうかもしれない。

因果関係の塊。


選択理論なんて言葉もありますね。





これは広く見れば蓄積されていく過程のお話。


じゃあちょっと違う過程のお話も。





どの道を通っても目的地さえ決まってれば行きたい場所にたどり着くよね。
カーナビみたいに。

東京ー大阪間だって新幹線じゃなきゃいけないわけじゃない。


飛行機だって行ける。
お金がなければ夜行バスでも行ける。
車やバイクで寄り道しながらでも行ける。
チャリでも行ける。
もしかしたら歩いて行く人もいるかもしれない。




これは過程における選択肢の幅のお話かな。






まあ話した事に意味はないんだけど。






僕の話はやっぱりやめます。

嘘です。します。最近思ったこと。





僕は周りに評価されるのが嫌いです。

その殆どが比較対象を持ち世間一般的に言う優等なモノと比べられるから。
一般のそれ以外に基準を持たない陳腐な意見だから。

その評価なら人に頼らずともできます。


自分の物差しで評価してくれるのは嬉しいです。
それが本当に自分の物差しなら。




とはいえ国内で生活する限りはこの世間で生きていかなければならないので
難しいですね。

この満たされた世の中に生きづらさを感じています。

満たされている筈、でも生きづらい、おかしな話ですね。





僕はたった21年しか生きていませんが
ゆとり世代と言われる僕たちですが

日本ってなんでこうなってしまったのかなあ
なんて考えたりします。



正直なところもっと相対的に経済発展してなくて
実家や住んでる村全体が農業営んでて

実家の仕事継いで自給自足して
結婚して子宝に恵まれて
孫も生まれて老いていって

ああ幸せな一生だったなあ


なんて生活のほうが良かったんじゃないか
と思う事がある。




経済学を学んでると尚更そう思う。


生産手段が少数の資本家に集中し
一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式

って19世紀に資本主義が定義づけられてるんだよ。
格差が出ることを必然としてるんだよ


おかしくないかな~

かといって社会主義思想でもないけど。




それこそゆとり世代の考え方だよ
とか言われそうだけど。





でもここ日本に生まれてきたからには
少なくとも自立するまではこの環境で生きなきゃならないわけで。


僕は僕なりに戦っていかなきゃいけないのかな~
この日本の中で、同世代の人たちと。






そんな時代だからこそ経済を動かす人になるんじゃなくて
人にフォーカスを当てて生きていきたいなあ。




弾かれてもいいから自分の気持ちを伝えたい。