もどき。。② | GCCA代表・岡村優のブログ

もどき。。②

駅の待合所はゆったりとした空気が流れていた。
彼女は誰も座っていない長椅子に荷物をおろした。履きなれないハイヒールで爪先とふくらはぎが悲鳴を上げていた。腰をおろすと安堵の気持ちが広がって緊張感が次第にほぐれていく。硬い木の感覚に少し違和感がないわけではなかったが、それでも立っているよりはましであった。
向かいの長椅子には制服姿の女子中学生達が一人のスマートホンを覗き込み楽しそうに話をしている。売店の横の少し短い椅子では小さな男の子をたしなめながら母親と老女がその間に座っている幼い女の子に笑いかけている。母と祖母と孫であることは容易に察しがついた。おばあさんに寄り添うように座る私より随分若い感じの母親を観ながら、東京で帰りを待つ母を思った。

一昨日の午後、私と母が過ごした大崎の家を訪ねてみた。然し、幼い私が育った小さな家は知らない人たちが住む今風の住宅になってしまっていた。父はこの家から出ていったのだった。
足早に通り過ぎて、いつも一人で母の帰りを待っていた公園に足を向けた。
公園は色とりどりの遊具が並び、記憶にあるそれとは違ったものになっていた。
ベンチに腰かけて瞼の奥の記憶を辿りながらあたりをゆっくりと眺めまわしてみた。座っているあたりにあったブランコに乗って帰ってくる母を待ったこと以外に、確かに私がここにいたとあかしてくれるのは外周の木々だけだった。
生い茂った葉がキラキラと光りを散らしていた光景だけは今も変わらない。

30年前ブランコに乗っていた少女が、今公園のベンチで日傘をさして佇む中年の女に変わっていることだけは確かであった。
夏の陽ざしが彼女一人だけを浮かび上がらせていた。

思えば、母は父の悪口を言ったことが一度もなかった。それは今でも変わらない。父を恨む気持ちをずっと持ち続けてきた。それは私を置いていったからではない。幼い私を抱えさせたまま母を捨てた父が許せないのだ。
何故、父は一人で勝手に出ていったのか。
その疑問は父を恨む気持ちとはまた別のところにべったりと張り付いている。
恨む気持ちと疑問が生き物のように静かに心の中で渦巻き、一方で父に会いたいという矛盾した気持ちが折り重なって澱のように溜まっていた。そして、鬱屈した気持ちを閉じ込めて生きてきた。然し、いつまでも、これから先もずっとそんな気持ちを抱えたまま生きたくはなかった。
故郷を訪ねてみようと決心させてくれたのは同窓会の案内だった。
然し、そこにあったのは母との慎ましやかな生活の断片だけで、父の事は何も思いだせなかった。影さえも見えなかった。それはしかし当然のことで、私はまだ乳飲み子だった。
積もったものが拭えるかも知れないと思った期待は外れてしまった。

母に同窓会で大崎に行くと告げたとき、「行っておいで、気を付けて」と振り向いて微笑み、ほんの一時だけ針を動かす指の動きが止まったような気がしたが表情は分からなかった。
母はまだ老け込む年ではないが、実際よりも年老いて見える。
メガネをかけなければ得意の針仕事は出来ないとこぼす母は心なしか小さくなったような気がする。
5年前、還暦を迎えた時に、それまで勤めていた会社を辞めて家の中で一番日当たりのよい一階の部屋で静かに暮らしている。娘はすっかりおばあちゃんっ子に育ち、二人で何やらいつも楽しそうに話をしている。
丁度あの時の私が母に甘えるように、娘が母に甘え、母もそれをことの他喜んでいるようである。