【症例報告】
リュープリン療法により転換性障害および軽度の急性精神病状態を来した一例
【抄録】
子宮内膜症に対する治療法の一つとして0000(Sssss)療法がある。これは月に一度、月経が終わりかけたときに00000を皮下注射し、人工的に月経を止める療法である。副作用の報告として、本剤のエストロゲン低下作用に基づく更年期障害様の重篤な鬱状態を来し自殺企図を行った報告は外国にあるが、分裂病様の状態を来した報告は未だ無い。症例は解離性けいれんを起こし救急車にて本院へ搬入され入院。しかし解離性けいれんを起こす以前より希死念慮を訴え、鬱病として治療されていた。また第5頚椎が後方に変位しており、左手の握力は右側に比べ極めて弱い。このことから頚椎の変位という基盤の元にこのホルモン療法がトリガーとなって発症したものと推測される。
【key words】Sssss, Acute Psychotic State, Conversion Disorder
【はじめに】
この症例はホルモン・アンバランスによる症状としての情緒不安定が昂じて精神障害を来したものと思われる。
外国に“エストロゲン低下作用に基づく更年期障害様の重篤な鬱状態を来し自殺企図を行った報告”があるが、それは鬱状態ではなく急性精神病状態であったと推測する。
ホルモンのアンバランスは中国医学で言う“気”の流れを乱し、精神障害を起こすものと推測する1)。
【症例】
家族歴:特記すべきことなし。
頭部CT:特記すべき所見なし。
神経学的:特記すべき所見なし。
脳波:異常脳波あり?
血液・生化学的所見:特記すべき所見なし。
快活で明るく真面目で、責任感・正義感は非常に強く、短大卒業後、自ら老健施設での仕事を志願した。
12歳時、初潮以来、月経困難症あり。
19歳時、下腹痛(急性腹症)にてK病院受診。卵巣嚢胞茎転疑いにて開腹手術施行。左卵巣チョコレート嚢胞であった。こののち子宮内膜症の診断名のもと通院治療となるが、とくに薬物療法施行せず。
平成6年(22歳時)、別の老健施設に勤めている頃、左目の視力がほとんどなくなり、S医科大の眼科に2週間ほど入院。耳鼻科よりそれは副鼻腔炎から来ているとは言われたものの原因は解らず、職場での人間関係の心労に依るものと推測された。
しかし頚椎X線写真より第5頚椎が後方に変位している像が得られた。左右方向の変位は認められない。左手の握力は右側に比べ極めて弱い。このことから頚椎変位の存在という器質的脆弱性の元に職場でのストレスがトリガーとなって発症した転換性障害と推測される。
元々、仕事は休まず真面目に行い、友人も多く、活発で明るい。
平成8年10月。月経痛主訴にてF病院受診。鎮痛剤服用にても軽減せず内診所見では子宮の可動性極めて不良、可動痛あり。両付属器にも圧痛あり。既往歴・内診所見より子宮内膜症と診断。
6カ月間、鎮痛剤にて経過観察するも症状増悪(月経痛増強)を認め、本年(平成9年)6月より00000(Sssss)療法開始。8月まで3回注。しかし健康保険法改変によりその後、来院せず。1カ月休薬。平成9年10月7日4回目の00000注を行う。11月4日再診時、抑鬱傾向の訴えあり。00000投与せず。低エストロゲンによる鬱状態の発現と産婦人科医は判断し、このとき00000投与せず。エストロゲン投与を行う。しかし、症状改善を認めず。精神的疾患と判断され同産婦人科医より imipramine hydrochroride を処方される。また同産婦人科医より某心療内科を紹介され、11月21日、imipramine hydrochroride 75mg/day, alprazolam 1.2mg/day, flutoprazepam 1mg(眠前)を処方される。
本年9月頃より“クルマに飛び込んで死んでしまったら、と思う”という自殺願望を家族に口にするようになる。しかし鬱的傾向はあまり見られず仕事も休まず行っていた。
10月終旬より母親に自殺願望を口走ることが急に多くなる(以前は時折冗談混じりに言う程度であった)。
11月12日(水曜)、祖母の通院する近くにある心療内科併設の神経内科を祖母とともに受診し、うつ病性障害の診断の下、抗鬱剤の投薬(trazodon、しかし投薬量は不明)を受けている。またその頃より祖母が投薬を受けていたetizolamを1日2mg(朝・夜)ほど服薬し始める(これを飲むと少しは心が安まるが少しだけ休まるだけであったという)。
11月22日(土曜)午前8時半、“けいれん発作”を起こす。そして意識消失状態が一時間続く。
(11月23日は日曜日であるため、また11月24日は振り替え休日であるため、仕事は休みであった。この2日の間、“けいれん発作”は無かった。)
【治療経過】
11月25日(火曜)
朝、普段通り、仕事先に行くが、気分優れず、更衣を終えて意識朦朧としてきたため、ソファーに横になっていた。数分後、歯がガクガクと震え出し、四肢も震えてきた。ここから本人の記憶はない。この状態が続く。そのため本院へ仕事先の救急車にて搬入。搬入持、意識不鮮明。名前、生年月日は言えるが、今日を11月23日と答える。震戦僅かに有り。diazepam 5mg 静注、phenobarbital 1A(100mg) 筋注。入院の運びとなる。
この時点で“解離性けいれん”を疑いながらも“解離性けいれん”であるかどうかは明日午前の脳波測定により判断することにする。
bromazepam 12mg/day(分3朝昼夕), etyl loflazepate 2mg/day(分1夕)、眠前薬として flutoprazepam 4mg/day, brotizolam 0.25mg/day, 不眠時追加分 brotizolam 0.25mg の投薬を開始する。
児戯的傾向が激しい。縫いぐるみを常時ベットの脇に置き、それを可愛がる。母親によると今までこういうことはなかったという。しかし疎通性は阻害されず。幻聴、幻覚は否定。午後9時20分、本日2回目の“けいれん発作”あり。舌を噛んでいるためバイトブロックを挿入。 phenobarbital 1A(100mg) 筋注。また、 clonazepam 1錠内服させる。やがてバイトブロックを外す。
11月26日(水曜)
午前7時、体温36℃。昨日夜9時過ぎの“けいれん発作”は覚えていないと言う。頭痛や気分不良は無いと言う。午前10時、脳波測定。後にそれは正常脳波であると解ったが、異常脳波らしきもの有り。本日昼より zonisamide 300mg/day(分3朝昼夕) の投与開始。
11月27日(木曜)
午前4時、廊下に倒れている。『寂しくて看護婦さんの所に行こうと思って。』と言う。詰め所にて看護婦さんと談話する。午前5時、落ちつき取り戻し、笑顔にて自室のベッドへ行く。
夕方よりzonisamide 投与より来ていると推測される歩行困難に対し歩行器の使用を開始する。
午後6時30分、“けいれん発作”あり。 phenobarbital 1A(100mg) 筋注。午後7時30分、再度“けいれん発作”あり。
zonisamide の投与から発作の頻度は減少していない。しかし、発作時の筋硬直の強さが弱くなる。また、“けいれん発作”時にもバイトブロックを噛ませるだけで充分であり、バイトブロックを噛ませないでも舌を噛むことはないことが、この日2回の“けいれん発作”より明らかとなる。
11月28日(金曜)
午前1時30分、トイレに行くため歩行器で一人よろめきながら廊下まで出てきている。排尿後、ベッドまで誘導する。zonisamide の副作用として、歩行困難だけでなく構音障害も起こっている。これほどの多量投薬であるが、発作の頻度は減少していない。ただ発作時の筋硬直度が弱くなっただけである。
午前2時、看護婦詰め所に『睡眠薬が欲しい』とナースコールあり。内服させる。それにて就眠した模様。しかし、午前5時、他患がナースコールをする音に目を覚まし、涕泣する。
午前5時30分、ベット上で独り言らしきことを言っているのをナースが発見。ナースは“てんかん小発作”と判断し、朝の内服分であるzonisamide 100mg, etizolam 1mg, ethyl loflazepate 1mg をこのときに内服させる。
午前6時30分、入眠している。
ナースよりその知らせを受け症例に問うと、すでに亡くなっている祖父が見舞いに来ていたため話をしていたという。この日の症例は朝から夕方まで目つきが別人のように虚ろであった。
この精神変調は zonisamide の大量服薬による副作用の可能性もあり、昼食後よりzonisamideを一気にcarbamazepine 200mg/day, aleviatine 100mg/day に変薬。
11月29日(土曜)
午後2時、“けいれん発作”が母親の目の前で出現。
11月30日(日曜)
この日、入院2日目に測定した脳波の再検討を行い、異常脳波と解釈していたものを正常脳波と断定する。この日の夕食後をもって抗痙攣薬の投与を中止する。この時点で投薬内容は etizolam 3mg/day(分3朝昼夕), etyl loflazepate 2mg/day(分2朝夕), 眠前薬として flutoprazepam 4mg/day, brotizolam 0.25mg/day, 不眠時追加分 brotizolam 0.25mg となる。
12月1日(月曜)
etizolam 3mg/day を bromazepam 12mg/day に変更。
12月3日(水曜)
午前7時、“けいれん発作”あり。
この日のみ haloperidol 1.5mg/day、trihexyphenidyl 2mg/day(ともに分2昼夕)の投薬を行う。午後7時、唾液様嘔吐あり。
12月4日(木曜)
この日から risperidon 2mg/day(分2朝夕)の投薬開始。
12月5日(金曜)
この日から risperidon 2mg/day(分2朝夕)に haloperidol 0.75mg/day、trihexyphenidyl 1mg/day(ともに夕のみ)の追加投薬開始。また trihexyphenidyl の副作用である便秘を考慮し sennosides 36mg(3T)/day 投薬開始。
午後2時、“けいれん発作”あり。
12月6日(土曜)
朝、綺麗に化粧している。『先生、綺麗?』と尋ねてくる。朝9時より彼氏と友達に伴われ外出。博多の遊園地へ行って来たという。午後8時帰院。外出中、“けいれん発作”なし。しかし深夜、胃部不快を訴える。しかし表情は穏やかである。
12月7日(日曜)
昨日の外出より歩行器は使わずに辛うじて歩行を行っている。しかし歩行はたどたどしい。午前7時、歩行器無しでトイレへと歩いている。動揺感は著明であるが『早く退院したい』と歩行器は使わないと主張する。
午前10時、血圧108/62mmhg 。胃部不快感は無いと言う。
午前12時、嘔気あり。胃液様嘔吐少量あり。昼食は摂取せず。しかし、“けいれん発作”は無し。
午後7時、胃液様嘔吐あり。血圧100/60mmhg とやや低い。
12月8日(月曜)
2日前の土曜の外出以来始めての“けいれん発作”、午前4時に有り。再三の呼び掛けに開眼覚醒するも2回連続発作あり。入眠し始めるも廊下に歩いてきて倒れている。『お母さん、お母さん。』と繰り返し、『お母さんのお腹の中から出てきて良かった。』などと言う。午前5時、ベッドへ行き入眠する。
午後1時、退院延期を言い渡す。すると憤慨する。髪を切りたいのでハサミを貸して欲しい、バリカンを貸して欲しい、と主張して引かない。この後、“けいれん発作”が10分ほど起こる。 haloperidol 1A(5mg), biperiden 1A(5mg) 筋注する。これは血中ハロペリドールの濃度を早く上昇させるためであった。
かなり軽快してきたが11月終順から続いているパーキンソン様歩行(zonisamide による小脳失調で間違いないと推測される)を家族が非常に気にするためもあり、trihexyphenidylを4mg/day (朝夕2mg ずつ)に増量する。この歩行障害に対し口にこそ出されなかったが家族は主治医である筆者に、かなり悪感情を抱いていた。これが後の退院要求、退院後再来院無しに繋がる。
12月9日(火曜)
午前0時30分、便失禁有り。電話を切ったあとボーッとしていた、と周囲の弁。気が付くと便失禁していたとのこと。シャワー浴させ更衣させる。
症例は毎夜のように病棟の公衆電話より仕事仲間などの女友達のところに電話していた。それは一晩に30分以上続くことは普通であった。社交的な面が症例には存在している。
12月10日(水曜)
午後4時頃、渡り廊下より外に向かって大声で叫ぶ行為がある。このとき『ここから飛び降りて死のう』と考えたという。後で聞くとこの日、朝・昼のクスリは全く飲んでいなかったという。診察室にて主治医を激しく罵倒する行為有り。その罵倒する言動は幻聴・幻覚・妄想が症例に強く存在することを証明する内容であった。
『毎日、祖父が見舞いに来て私にいろいろなことを話します。祖父は10年前に死んでいます。でも毎夜、見舞いに来ます。
私のお腹の中で赤ちゃんが動いています。もうすぐ、生まれて来るんだわ。
……
早く退院したい。ここに居ても何にもならない。何のために私を入院させているの。早く働きたい。
私は入院している理由は何も無いはずです。』などの言動であった。
朝より全く食事を受け付けず、この日は全く食事を摂取せず、夜、 brotizolam 0.5mg 飲用するがその夜は一睡もできなかった。(それまではbrotizolam に良く反応し、眠れないときは brotizolam を飲用するとすぐに寝入っていた。)
12月11日(木曜)
午後4時より午後6時まで勤務先である老健施設の敬老会に出席。勤務先の同僚の女性がマイクロバスで連れに来る。この日は朝は全く食事を受け付けなかったが昼食は半量摂取する。夕食はその外出先で食事してくる。この夜はよく眠れたという。
12月12日(金曜)
prolactinoma の可能性を疑い、血中プロラクチンを外注に出そうとする。しかし、準備だけを行い、採血も行わず、外注には出さないことにする。昨日より精神状態は非常に安定してきている。しかしパーキンソン様歩行が軽快してきたものの未だ存在する。
最近は毎日激しい下痢をしている。trihexyphenidyl の副作用を考えてsennosidesを36mg(3T)/day 出している。赤い粘血便が出るという。発熱も腹痛もなく感染症は考えにくく、sennosidesは弱い下剤であり、女性でもこれほど激しい下痢をするとは考えにくい。
12月13日(土曜)
朝8時より夜8時まで再び自宅へ外出。このときは食事は普通通りに食べたという。下痢は下剤を抜いてから全く無くなったという。
12月15日(月曜)
症例が病院の食事を摂取しようとしないため母親が退院を希望する。血中プロラクチン濃度を外注に出す。
12月16日(火曜)
退院。
(血中プロラクチン値 110.0 ng/ml (normal 1.4~14.6) という結果が出た。)
【考察】
00000療法は、黄体形成ホルモン放出ホルモン(LH-RH)誘導体に関する研究の結果、酢酸リュープロレリン(leuprorelin acetate)が強いLH-RH活性を有することを見出されたことに発する。当初はその強いLH-RH活性から不妊症治療への応用が検討されたが、LH-RHアナログの連続投与により性腺機能はかえって抑制され副性器(前立腺または子宮)重量が減少することが明らかになった。
まず前立腺癌治療薬として開発が着手された。その後、子宮内膜症、中枢性思春期早発症、子宮筋腫、閉経前乳癌にも有効であることが明らかとなった。
月経過多、下腹痛、腰痛及び貧血等を伴う子宮筋腫における筋腫核の縮小および症状の改善、には非常に良く作用する。
つまり、00000(Sssss)はLH-RH様作用を有し、投与直後一過性に下垂体ー性腺系を急性に刺激し、下垂体に於いて性腺刺激ホルモンの放出・産生を低下させ、精巣に於いて性腺刺激ホルモンに対する反応性低下を起こさせ、その結果テストステロン産生能が慢性的に低下する。また本剤のLH放出活性はLH-RHの約100倍あり、後投与により性腺刺激ホルモンに対する精巣の反応性低下が強く起こる。
食思不振は妊娠したからではないかと症例は心配していたが、妊娠反応はマイナスであり、精神症状よりの食思不振と推測される。また、交際し始めたのは1ヶ月ほど前からであり性交渉は無い、症例は極めて潔癖性であり、未だ処女であるはず、と彼氏は言う。家族も、彼氏との交際は約1ヶ月前からと極く最近からであり、妊娠であるならば他の男性ということになるが、他の男性との交際は無かった、と言う。症例もまた彼氏と家族の言うことが正しいと言うが、それでも妊娠しているはず、妊娠反応がマイナスなのは間違いであるはず、と主張する。
『処女懐胎』と症例は笑いながら言う。しかし、そういう冗談を言う娘ではない、と母親は強く主張する。
最近たしかに娘は精神的に異常を来している、と家族は言う。ここに入院する数ヶ月前から娘は精神的におかしくなっていた、それは数ヶ月前から少しずつ重症化してゆき、そして今回の“けいれん発作”に繋がった、と言う。
退院後、症例は来院せず、その後の経過は不明である。
Organic Delusional Disorders by Sssss therapy
【参考文献】
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