前記事よりかなり時間を空けての投稿になりました。お久しぶりです。このコロナ禍、皆さまはどうお過ごしでしょうか。
早速ですが本題に入ります。
よく「私は裏切られた」というような文句を目にすることがあります。それが対人であれ何であれです。
今回、その「裏切られる」対象が「言葉」である場合に限った話をしようと思います。
私は長年英語を勉強していて、もう英単熟語にはかなり慣れてきた頃合いかなと自負しており、よほど高度で堅苦しい
英文でない限りすんなりと読める程度の実力はついてきました。が、そんな過去の学習経験を振り返ったうえでみなさんにお伝えしたいのは、「人は言葉で裏切るが、言葉そのものは裏切らない」ということです。
伝えたいことはこのワンフレーズにほぼ収めたつもりなのですが、何を言いたいかというと、例えば英文を一つでも多く読めるようになりたいとき、まず大体誰でもその英文をひたすら繰り返し読もうとします。しかしそれが何十文という量になり、その上見聞きもしたことない単語が羅列されたとき、多くの人は挫折を経験すると思います。私にも一時期そんなことがありました。
しかし、冷静に考えてみると、言葉そのものが裏切ったわけではなく、その単語を覚えられていないことに少々腹を立てつつも「まあいいか」と"あきらめた"自分自身を心のどこかで「できるだろう」と信じていたのに、結果としてやりきれなかった自分自身に対して「裏切られた」と感じるのではないかと思うんです。これはおそらく対人でも同じことが言えるかと思います。
しかし幸いにも、言葉は「人の感情を乗せるツール」ではあるけども、言ってしまえば所詮は言葉です。自分を裏切った人に再三再四会うことはきっと苦痛だと思います。しかし、言葉を知るというのは裏切る行為でもなんでもなく、ただ出合う回数を増やせば増やすほど体に染みていくものですし、何よりそれが自分自身への味方になっていってくれます。単語学習の中で、この単語帳に裏切られたなんて経験をした人は万に一いるかいないかぐらいのはずです。言葉そのものは裏切っていないのです。裏切るのはあくまで「人」なので。
もしこの記事を読んでくださった方がいたら、このことをぜひ思い出して、「出合う回数がどんなに多くても、言葉は裏切らない」ということを思い出せば、おそらく英単語暗記の苦痛も和らぐのではないでしょうか。