さて、今日は三国志11
で、前回の…だいぶ前ですが…魯粛の話
どうしても横山三国志とか、演義の印象からか、非常にお人好しで孔明や周瑜に体よく扱われる人物と描かれますが、本当は深慮遠謀と高い理想を持った政治家でした。
周瑜は曹操から献帝を救い出し、孫家が皇室の保護者になるべしとの考え方をもっていました。
これはその当時の王道中の王道で、これを期待されたのが袁術でした。
袁紹は献帝を正統とは認めず(家族を殺した董卓に擁立された皇帝だから)、新たに皇帝を擁立しようとしていました。
それに反対した袁術は勤皇派の筆頭と考えられたのです。
もちろん現実は異なり、孫堅はこれにより命を落とすことになります。
これに対して魯粛は、江東に拠り、自ら王となるべしと、孫権に独立政権を打ち立てることを示唆しました。
地方軍閥にすぎず、地元名士との関係も上手くいっていない、しかも兄を亡くしたばかりの若き君主孫権にとっては、この言葉はどのように響いたのでしょうか。
とにかく金がないので兵を集めるのも一苦労
しばらくは内政です
港にいる3000の兵を回収しておきます
どうせ3000程度では敵の侵攻を防げませんし、相手をおびき寄せておいて、一気に叩くという囮に使います
ま、あっという間に滅ぼされるでしょう
我が軍には関係のないことです