董卓 戦場に屍を晒し 劉備 江夏を得る
はい、まだ画像なしの三国志11です。
許昌を手中に収め、ここを基点に荊州、そして洛陽を攻略したいところでしたが、ここで事件が。
曹操の陳留を攻撃していた部隊に董卓がいたらしいのですが、戦闘中に捕らえられ、首を刎ねられたのです。
これにより董卓から離反する武将も。
すかさず王充を登用。
王充は言わずと知れた美女連環の計を用い、呂布と董卓の仲を引き裂いたエピソードで有名ですが、正史ではこのような記述はありません。
そもそも、呂布と董卓の間に溝ができ始めており、王充は呂布と同郷ということで、いろいろと相談に乗っていたのです。
その際、董太師(董卓のこと)を暗殺してしまえとそそのかしたのが王充です。
養父であるからと躊躇う呂布に、あなたと太師は異姓ではありませんかと説得したのです。
※この時代、正式な養子と認められるには養父と同じ姓である必要があったのです。背信行為には違いありませんが、親殺しと非難されることではなかったのです。
劉備の養子である劉邦は元々の姓は寇といいます。
なお、董卓を殺したまでは良かったのですが、混乱を治めることができず、結局態勢を整えなおした董卓残党軍に殺されることになります。
演義に見られるような名臣という人物ではなかったようです。
さて、劉備はというと、孔融と孔伷の軍を接収したことにより、武将も兵力も増強されましたので、劉表の治める江夏を攻めることにしました。
劉表は南は孫堅、北は董卓に攻められており、滅びるのは時間の問題。
だったら今のうちに、彼の領土を少しでも奪い取っておきたいのです。
で、江夏ですが、陸路と水路との両方が使えるため、軍を二つに分けて進軍。
すると劉表は陸路を迎撃にでます。
・・・なんで水路は無視なのか? まあ、兵力が少ないので、しょうがないのだろうけど。
こうなってくれると、こちらとしては楽。
無理に進軍せずに、劉表の部隊を攻撃しつつ回り込み、江夏に劉表の部隊が戻れないように囲ってしまいます。
これで江夏は迎撃できる兵力がなく、水路からの部隊で攻撃して陥落。
この少し前に新野が董卓に滅ぼされており、劉表軍の名だたる武将が江夏に集結していました。
これらを全て捕虜にして、後に登用。
これで南方の守りは十分。
次は・・・洛陽か!