劉備 糜氏を娶り 許貢 呉で旗揚げをす


徐州を手に入れ、江南攻略の橋頭堡を築いた劉備。


下邳の部隊は大して損害がないため、編成し直してさっそく孔融の治める北海を攻めます。

これを攻略すれば、青州も完全に劉備の支配下に置かれることになります。


北海は武安国しかおらず、彼は武勇には長けていますが、計略には弱いので、張昭を従軍させ、撹乱させているうちに北海を攻め滅ぼしてしまいます。



さて、ここらで内政を・・・と思っていると、糜竺が結婚を勧めてきました。


でも相手が・・・と思ったら、あら、糜氏じゃないですか。

ああ、なあるほど、自分の妹と結婚しろと。


で、結婚式を挙げましたよと。


しかし、演義でも正史でも、この時期の劉備は陶謙から徐州を譲り受けはしましたが、正直どれほどの人物か分からなかったときですから、徐州で財を成した富豪糜竺がどれだけ劉備に肩入れしていたかが分かります。


さて、江東の呉では許貢が旗揚げをしました。


演義では、彼・・・ではなく、彼の養っていた食客が、主を殺害した孫策に復讐を企て、その際の傷が元で江東の小覇王孫策は命を落とすという下りで有名な許貢ですが、彼も江東の名士の1人で、配下も有能な士が少ないですが揃っています。


大きく勢力を拡大する前に滅ぼすとしましょう。