陳留防衛が終わったのも束の間、曹操の大軍が3路から迫っています。
さて、前回途中だったナポレオンの内線作戦ですが、内線作戦、つまり複数路から敵が迫ってきている場合、戦力が少ない側は戦力を集中させ守備をすることになります。
各個撃破されたのでは意味がありませんから。
このときナポレオンが行ったのは、戦力を集中させ、それを高速で運用し、敵が包囲陣形を確立する前に各個撃破するというものです。
我が軍もこれに倣い、顔良、文醜、ホウトク、朱桓、賀斉、李通を騎馬部隊として、まず汝南から侵攻して来る典偉の騎馬部隊と李典の衝車を撃破します。
これは建業は長江を渡らなければならず、いかに移動力がある部隊を運用したとしても50日程はかかることになります。
また、ろ江から出陣しているのは攻城兵器ですから、足が遅く、これはしばらく無視しておいてもいいのです。
で、6部隊で2部隊(衝車は部隊への攻撃はできないので実質1部隊)を囲んで攻撃します。
とうぜん、一ターンもたずに典偉は撃破されます。
このとき、兵1でどうでもいい武将(ごめんな、ハイゲンショウ)を出撃させ、衝車の行く手を塞がせます。
この嫌がらせのような方法で、衝車は兵糧が尽きて退却することになります。
その隙に、ろ江から攻めてくる夏コウ淵の井ランを撃破します。
一旦寿春に戻り、建業の部隊に対応した部隊構成に変えて再度出撃します。
港の周りを自軍部隊で囲み、わざと一部隊だけ上陸できるようにします。
これで敵部隊は、我が軍の包囲の中にわざわざ飛び込んできてくれます。
ときおり長江上から弓で攻撃してくる部隊もいますが、たいした被害にはなりません。
建業の部隊も水際で撃破します。
実はこのとき、皇甫嵩に木獣を率いさせ、ろ江へと進軍させていたのです。
顔良、文醜の部隊を囮にして、ろ江の残存部隊を引き付けておき、湿地から皇甫嵩の部隊を迂回させ、ろ江の北側から攻め落とします。
寿春、ろ江を奪ったことで、曹操軍を長江南東と荊州北部とに分断することができました。
しかも、建業の兵力は低下しています。
次は汝南からの奇襲に注意しつつ、建業奪取を狙います。