一年をかけて華北を復興し、兵の増強も終わりました。
いよいよ中原の覇権を賭け、曹操、董卓と戦端を開く刻が来たようです。
狙うは曹操領徐州。
徐州には下ヒという大都市と小ハイという南方を攻めるための前線基地として使える小都市があります。
下ヒを奪えば曹操軍の経済面で打撃を与えられ、小ハイを奪えば、曹操軍に楔を打ち込めることになります。
幸い曹操は陳留の支配権を巡り、董卓と交戦中。
我が軍の動きに対応する行動はとれません。
しかし、曹操軍が退き返して来るという恐れもないわけではなく、また予想以上に早く陳留が陥落すれば、陳留を攻撃していた部隊が、こちらのボク陽を攻めないとも限りません。
それでは、こちらの攻撃部隊もボク陽に戻し、ボク陽近郊での防衛戦になってしまいます。
今回に限ったことではありませんが、戦うと決めた以上、速度を緩めるわけにはいきません。
将兵をボク陽と北海に集め、小ハイと下ヒを同時に攻めます。
相互に連絡して防衛されないようにするためにです。
また、寿春からの援軍が来るにしても、小ハイと下ヒの双方に送るわけにはいかないはず(一部は既に陳留に援軍として参加しているので、これ以上兵力を少なくすると、汝南の董卓軍が攻めてくる)なので、最低でもどちらか一方の都市は落とせるはず。
さあ、いよいよ戦いです。
ボク陽からは全軍8万のうち、7万を出撃させます。
兵力を小出しにすることは、愚の骨頂。
予備兵力を持つことと、兵力を無駄に分散させることには大きな隔たりがあります。
まずは運用できる最大戦力で攻める。
その中で、兵を投入する順番を考えていくのです。
例えば、まず騎馬隊で敵の出方を見て、敵の兵科に対応した部隊で攻撃・計略、敵の反撃が弱まったところで攻城兵器を前に出すという感じです。
北海からも5万の兵を出撃させます。
これは北海のほぼ全軍に当たります。北海は南の下ヒしか敵の領土と隣接していないので、残す兵は賊対策分くらいで問題ないのです。
小ハイ、下ヒ共に城を護る兵は2万弱。
兵力からいっても、指揮する将の質からいっても我が軍が優勢であることは間違いありません。
劉備、関羽、張飛、張コウを主力とした部隊があっさりと小ハイに取り付き、ほどなく落城しました。
下ヒは顔良、文醜、太史慈、朱桓、ホウトクの部隊が主力でしたが、やはり下ヒも落城。
これにより我が軍は、南方進出のための前線基地と、そこに物資を供給する補給基地を手に入れたことになります。
さらに貪欲に陳留も隙あらば狙っていきます。
もう、曹操と董卓との決戦は避けられません。
また、彼らと真正面からぶつかっても大丈夫な戦力が、いまの劉備にはあるのです。
陳留を奪えれば、西は洛陽、南は許昌という後漢末期の2つの都に迫ることができます。
このときのために復興させた北方の地から兵力を輸送させ、次なる戦いに挑みます。