さて、パソコンの整理も終わり、ピクミンをうPしているので、その存在意義が問われている三国志11です。


前回で、我が軍(劉備)と接するのは、公孫サン、曹操、董卓の3軍勢となりました。


董卓の場合は、黄河を遡って洛陽に攻撃が出来る(もちろんその逆もある)というだけであり、今すぐに戦闘状態に陥るということはなさそうです。


と、そのとき、公孫サンの配下武将が同盟破棄を伝えてきました。


ふふふ、どうやら天は私が悩まなくて良いようにしてくれたみたいです。


前回説明したように、北海を配下に収めたことで公孫サンに黄河を渡って東から攻撃することができるようになっています。


まずは、顔良、文醜、賀済にそれぞれ5000の兵をあたえ、防備の手薄な襄平を攻略させます。


次に、ボク陽にいる主力武将をギョウと南皮に集結させます。


戦力では公孫サンと我が軍の数は変わりませんが、公孫サンは北方を気にすることなく、全力で南下することができます。

しかし、我が軍は曹操がいつ同じように同盟破棄を申し出るか分からないため、全軍を動員することができません。


そこは策と武将の質の差で対処します。


公孫サン軍には知力の高い武将はほとんどおらず、またその大半が騎馬軍となります。


そこで、張飛、太史慈、高覧、ホウトク、田豊、郭図等をギョウに配置します。


え、関羽? 関羽は公孫サン軍が南皮に押し寄せてくる可能性もあるので、そちらの防御に。


これは時間との戦いとなります。


公孫サン軍が我が軍のどの都市を狙っているのかが判明したら、いそぎ他の都市から軍を派遣して、手薄の公孫サンの都市を奪う、こういう作戦です。


準備を整えて待っていると、どうやら晋陽からギョウを狙うようです。


ならば、平原の軍勢を南皮に輸送し、南皮から北平か薊を狙わせます。


さあ、決戦です。


と、その前に。ダメ元で登用を仕掛けた孫権軍の魏延がこちらに加わってくれました。

なんという幸運。

さっそくギョウへと送り込みます。


さらに、董襲が朱桓という武将を推挙してくれました(当然一騎打ちに勝った)。

彼も史実では呉の知勇兼備の名将となる漢。

こちらは南皮へ。


いよいよ公孫サン軍がギョウに押し寄せます。


公孫サンは意外と知力が高いので、計略になかなかかかりません。


しかし、公孫サンの率いる軍は騎馬。

張飛と魏延に槍兵を5000ずつ与え、乱撃という相手を混乱状態にできる技で公孫サン軍を混乱させます。


他の雑魚どもは、郭図や田豊に計略で撹乱させて、動けないところを高覧や袁紹、ホウトクでフルボッコです。

1年の大半を費やしました(撃破しても兵力が許す限り攻め続けてくるため)が、こちらにはたいした被害もなく撃退することができました。


そのころ、襄平へと向っていた北海の部隊は無事に都市を陥落させていました。


南皮は戦略の見直しを図らなければならなくなっていました。


北平に関羽らの部隊を派遣したのですが、南皮から北平へと通じる道は、一列縦隊でなければ通ることができず、大部隊を派遣したとしても、道を塞がれ遠方から弓矢の攻撃を受け、無駄に兵力を失ってしまうことになります。


そこで、ここには逆に我が軍が道に蓋をしてしまいます。


どうでもいい武将に障害物を作らせながら道を死守させ、その隙に援軍のこない薊を攻め落とします。


関羽や麹義らの攻撃を防げる武将は薊にはいませんでした。

これにより公孫サン軍は、北平と晋陽とを薊で分断されたことになり、相互援護ができず各自孤立状態となってしまいました。


後は襄平の部隊を囮に使い、その隙に北平へと軍を動かす。

ギョウの部隊で晋陽は力押しで落とせるでしょう。念のため薊の部隊を囮に使い引き付けておきます。


ついに公孫サンを滅ぼすときが来たようです。

北方の覇者に劉備はなれるのか。

それはこの次に。


↓簡単な位置関係(ずれたらごめんね)



       薊   北平    襄平


晋陽       南皮


    ギョウ   平原     ~~

                ~~

~~~~~~~黄河~~   北海


        ボク陽