4年目の劉備軍。


さすがに都市を2つ一挙に手に入れたため、その大半を内政に費やします。

戦争のために結構な金額を費やしたため、なかなか都市が発展しません。


で、金がなくても出来ることといえば、人材探索と引き抜きぐらいなので、忠誠度の低い武将には積極的にアプローチ。

軍師が田豊になったおかげで、助言の的中率が以前とは雲泥の差です。


そういえば、前回、凌操が李通を推挙したと書きましたが、三国志11では未発見の武将がいるとランダムで自軍武将が推挙してくれます。

しかし、簡単に配下にできるのではなく、武官なら一騎打ち、文官なら舌戦に勝たないと配下にはなりません。


つまり、凌操は李通に一騎打ちで勝ったんですね。


そうしたら今度は、李通が董襲という武将を推挙してきました。


董襲は史実では孫権配下で、水軍を率い活躍した猛将です。

※沈みゆく船と運命をともにし溺死するというエピソードがあります。


もちろん関羽や張飛に比べれば武力はそれほどでもない(85だから悪くない)のですが、南船北馬とはよくいったもので、残念ながら華北の武将には水軍を得意とする武将がほとんどいません。

これから孔融の治める北海や韓フクのボク陽を攻める際には、黄河を渡る必要があります。

その際に董襲と凌操には水軍を率いて活躍してもらう必要があります。


で、李通が董襲を撃破。無事に配下となりました。

そして、その年の冬、ついにボク陽を攻めるだけの兵力が回復しました。

いざ出陣です。


韓フク軍の主力は現在、寿春において曹操軍と戦っており、どうあがいてもボク陽まで援軍を派遣できない状況です。

たいした抵抗もなく、劉備軍はボク陽を手中に収めます。


ついに黄河を渡り、中原へと進出する劉備軍。


しかし同時に北方は公孫サン南面しては曹操軍という2大勢力との争いが待ち受けています。

※今は同盟中ですが、いずれは破棄しなければなりません。


これに董卓を交え、ついに複数の都市を所有し、名だたる武将を擁する軍団同士の戦いが激化していくのでした。