さて、顔良と文醜の2枚看板を失った袁紹軍ですが、その兵力は今だ3万を下らず、また何といっても、劉備軍には数少ない知力武将が田豊を筆頭に、審配、郭図といるわけで、こちらからノコノコ遠征していって、


撹乱→包囲殲滅


では意味がありません。


と、思案していたところ、袁紹軍からこちらに攻めてきてくれました。


これは僥倖!


というのも、前回お話しましたように袁紹の本拠地南皮と平原との間には街道と、若干移動力は落ちますが、沼地を超えていくルートの二つがあります。


袁紹はどうしても平原を落としたいのか、衝車(先のとがった丸太がくっついた車。攻城兵器)で攻めてきました。衝車は移動力が少ないので街道で攻めてきます。

また、衝車は城には多大なダメージを与えますが、部隊には攻撃できません。

また、衝車等の兵器は気力がないと攻撃が出来ません。


そこで、わざと袁紹軍を平原の城ギリギリまでひきつけ、少数の兵で周りを囲み、身動きが出来ないようにし、その隙に、主力部隊を街道から、騎馬の一部隊を李通(凌操るが推挙してくれた)に預け、こちらはおとりになってもらいます。


つまり、袁紹軍3万を、平原で拘束、主力部隊と街道で決戦、沼地に引き込んで足止め、南皮の防御部隊と4つに分断してしまいます。


これにより、南皮では6,000の兵が残るのみです。


しかも、恐れていた田豊は城の守備に、審配と郭図は袁紹と同じ部隊に所属しているため、撹乱を使ってくる部隊はいないも同然。

むしろ、こちらの許ユウや逢紀の撹乱が敵に通用することに。


さあ、袁紹に止めを刺すときがやってきました。平原3万5,000の軍勢が出陣です。


作戦通り、ハイゲンショウや厳兄弟で袁紹の部隊を囲んでしまいます。

もちろん囲むだけでなく攻撃もします。


次いで、関羽、張飛、顔良、文醜、ホウトクにそれぞれ5,000の兵を与え、街道から出撃します。

もちろん許ユウや逢紀といった知力の高い武将も従軍させます。


李通は騎馬2,000で沼地から攻め込みます。


袁紹軍も、高覧や麹義を繰り出してきますが、同じ兵数・兵種であれば関羽、張飛、顔良、文醜、ホウトクに勝てるわけがありません。


ついに、関羽、張飛、顔良、文醜、ホウトクが南皮に取り付きます。

そして、火計を用い、城の耐久度を下げていきます。

さすがに南皮は堅牢な城ですが、もう抵抗する術がありません。


ついに、陥落します。


袁一族の滅亡です。


とはいっても、殺したりせず配下武将として、今も元気に戦場を駆け巡っています。


袁家の配下武将をそっくりそのままいただき、配下の数も一挙に40人以上となりました。


南皮の兵力の一部を平原に戻し、今度はギョウを攻めます。


こちらは簡単。

韓フクは戦場を広げすぎたため、4つの城を所有しているのですが、1つの城あたり武将3人、兵力15,000というありさま。


関羽、張飛、劉備の義兄弟のコンビネーション攻撃でギョウは陥落。


ここに、劉備軍は3都市を所有するにいたったのです。


しかし同時に、北方では公孫サンが劉グと張楊、公孫度を滅ぼし4都市を所有、曹操は徐州にまで勢力を広げています。董卓の勢力も衰えていません。


まだまだ厳しい戦いが続くのです。