こんにちは
その2からの続き
【7日目】
この日は何と救急車に乗って緊急病院へ🚑
浅草のエアビーをチェックアウトをし、実家へ行く日。
この日の朝、とうとう娘は歩くこともままならない位衰弱してました。
母が実家近くの内科医に電話で聞いてみると、そこまで衰弱したら
救急車を呼ぶか、緊急医療センターとかに直に行くしかないと言われ。
病院もよく分からないからと救急車を呼ぶことに。
エアビーの近くは消防署があったから、呼んで直ぐ来てくれました!!
エアビーの建物に横付けして、中に入った後、
服用している薬💊や、パスポートを見せたり色々説明をして
内容を把握してくれた状態で、行き先の病院を探してくれました。
浅草から行ける範囲の病院で、1から内容を説明すると診れないと断られ
また、違う病院へ1から説明という作業がこの時も10件程続きました。。
日曜日、海外から来ている、国保がない、クローン病というのが病院側が
受け入れない内容だったようで。
浅草寺病院、順天堂、東大、女子医科大、聖母病院などかけてくれましたが、
ことごとく断られ、数日前自分が電話して断れたのを思い出し
こんなに受け入れてもらえないんだと悔しい気持ちが蘇ってきて
その間も救急士さんは落ち着いて1から説明を病院にしてくれて、
忍耐がないと出来ない仕事だと、3人の若い救急士さん本当に尊敬✨
病院が中々決まらず、救急車の中に入って約50分位すぎで、
ようやく聖路加国際病院が受け入れてくれる事になり、救急車が動きだした🚑
日本で救急車🚑に乗るのはこれで2回目。
移動中も1人の救急士が私がリラックスできるように話をしてくれ、凄く助かった。
本当にありがとう
聖路加国際病院について、担架で病室まで運んでもらい、その後は研修医っぽい人と
看護師さん2人。ここは英語も多少出来るお医者さんや看護師さんもいたけど、
やっぱりnativeではないから、娘は下手な英語より日本語で話して欲しかったみたい
数日前に病院から送ってもらった履歴を見せた。今回聖路加での血液検査で、クローン病の数値は出ていない、その治療をする必要は今はないと言われ、今出来る事は脱水症状が出てるから、それを補う点滴をするとの事。
医者の質問や、看護師のアメリカ英語訛りの日本語で質問を聞かれ
どうやって答えればいいか分からず、そのうち体全体が震えだし始めた。
こんなに震えているのを見たのは、数年前、喘息の吸引器(ステロイド)をわざと吸いすぎてショックで震えだした時以来。あの時も大変だったけどね
何で震えたのかその時は分からなかったけど、色々悔しい感情、戸惑い、不安など、かなりのストレスでそうなったんだなぁと後から思った。
私はびっくりして、水分補給のこの点滴だけでいいのかと思ったけど、その処置だけで退院。
保険がなく、日曜日だという事で、数時間だけだったけど、78,000円
オーストラリアに戻ってから保険会社に申請し、無事戻ってきました😊ただこの手続き、保険会社の申請は凄くシンプルで簡単だったけど、日本の病院のシステムが古すぎて、国内郵送を何度したことか。その度に時間とお金にかなり左右され、そこが大変でした😮💨
担当に電話も繋げれない、メールは送れない。病院に直接手渡しか郵送しか対応してくれず。結局郵送をしたら、今度はこれが足りないからまた郵送で送って、書類作成するのに郵便振込など、手間がかかりオーストラリアに戻っていたらどうなっていた事か。。
実家へ次の日移動するのは大変だからと思い、数日の間、東京に住んでいる弟家族の家にお世話になろうと思ったけど、
義妹が元々体が弱く、私たちが行ったら大変だからと父が反対し、
結局その計画は無しに
エアビーのチェックアウト日だったけど、事情を話しもう1泊延泊する事にしたから
退院後、タクシーでエアビーへ。父と母は一緒に残ってくれ、妹と甥っ子は自宅へ帰宅。
実家へ行くのに4人分の新幹線チケットを先に買っていたから
払い戻しをしに駅へタクシーに乗っていった父。
心配しすぎて、タクシーの中に携帯電話を忘れ、
エアビーに戻った時に携帯が無い事に気づき母の助言の元、
近くの警察署へ。警察署の電話から自分の携帯に電話をしたら、
タクシー運転手が出てくれ無事に手元へ。
不幸中の幸いとはこの事かな?!
このまま実家に行って1カ月半日本で過ごすか、数日東京にいて、
オーストラリアへ戻るのかの選択肢を娘に与えた所、
ここまで来てオーストラリアへ帰るのは嫌だという事で、
頑張って実家へ行く事に。
クローン病の症状が出ていなくて、本当に何より。
この後、1カ月半は無理な行動はせず、実家周辺で家族とゆっくりと
年末年始を過ごせ、無事オーストラリアへ戻る事が出来
ホッとしました