こんにちは。

 

2024年7月が過ぎた所ですがてへぺろ

 

2023年12月上旬から2024年1月末まで私と娘二人で日本に一時帰国しました🛫

紅葉が見たい、娘は日本に6年行っていない、ずっと日本に行くのを心待ちにしていたので

体調不良になるとは思わず、あれこれ計画を立てていました。

 

クローン病になって初めての旅行。

こんなに大変だとは思ってもみなかったえーん

その記録を書いていこうと思います。

 

【日本に行く前】

2023年9月頃から8週に一度インフリキシマブ投与を何回か受け、

お腹の調子も大分良くなった娘。

 

この調子で落ち着いていれば、旅行も大丈夫かと思い、

私は1年振り、娘は6年振りの日本渡航🗾

 

本当は、3カ月とか滞在したいという娘の希望。

でも、インフリキシマブ投与が8週間に1度だったため、

ギリギリ1カ月半に。IBDの医者にも日本に行く事を伝え、特に問題ないと言われました。

 

日本に行く直前の週にインフリキシマブ投与をして、帰ってすぐの週に次の投与を予約して準備万端にチューリップオレンジ

 

海外旅行保険もクローン病があると申告して加入。

1カ月半と長いし、私も50代、それに加えて病気も付けたから、

2人でAS650ドル位だったかな。

 

【出発】

12月4日に出発、ゴールドコースト空港からケアンズ空港へ移動後

ケアンズ空港から成田まで🛫

 

トイレに近い所がいいという事で、窓際は取らず通路側の席を確保。


機内で食べると気持ち悪くなるかもという事で、ほぼ機内では食べず、ケアンズ空港で買った乾燥マンゴーを食べ(これがまた美味しかった)空腹をしのぎ。私はヌードルを食べたけど、はっきり言って美味しくはなかった😅


成田では、ホテルのコンビニに売っていたおにぎりやスープとかを買って部屋で。

成田アートホテルの温泉が最高に気持ちよかった♨ラブ温泉入るの何年ぶりだったかな。

 

【2日目 ディズニーシー】

早朝成田のホテルからディズニーオフィシャルホテルへバスで移動🚌


到着早々、体調が悪くなり、規定のチェックインの時間より、早めにチェックインをしてもらいました。

 

部屋に入って荷物を置いた後、ディズニーシーへ。


期待していた、リトルグリーンマンを買い、サンドウィッチを食べたら、気分が悪くなり、ホテルへ舞戻りキョロキョロ


この日は特に寒かったようで、ショップでたくさんの人が、防寒の帽子とか買ってトレーナーと上着のみの軽装では耐えられずホテルに戻った時に、持って来たすべての服、手袋、毛糸の帽子を被り、

ディズニーで買ったストールを身に着け重装備で再入場。


再入場したものの、体調は良くなく、それでも園内を歩いて

クリスマスの雰囲気を味わい🎄

でも、あまり楽しめず直ぐホテルへ。

 

ホテルのレストランで私はカレーライス🍛、娘は魚のセットメニューを🐡


人も少なく落ち着いた雰囲気でゆっくり食べる事が出来、移動が続いたからこの日はディズニーシーに行かず、ホテル滞在を楽しめば良かったのかもと、反省。


チケットを先にオーストラリアで購入していたからその日に変更は出来ないしね。


部屋からはシンデレラ城が見え、夜の花火が目の前に🎆それは凄く楽しめました🥰

 

【3日目-5日目 木場&目白】

この日は娘の16歳の誕生日。本当、この誕生日にディズニーシーだったら良かったよね。。。

それもこの日は天気が無茶苦茶よくて、温かい日でディズニー日和晴れ


東京は目白のホテルを予約していました。というのは、原宿辺りに行きたいという事で、

ちょっと静か目な場所を探していたら、目白が良さそうで。

いつもは汐留や浜松町辺りに泊まっていたのをあえて、場所を変えてみました🏨

 

舞浜からJRで木場にある3 miniutes Kimonoに寄って、 着物を上下に切って簡単に着る事が

出来るという所で海外から来た人に受けるサービス👘思ったより地味な作業で、その着物を

持って帰るのだけど、2着分で、羽織も頂き、帯や着物も元の値段からプラスアルファで

結構な金額を払って重い着物を持ち帰りました笑い泣き

この地味な感じが誕生日プレゼントになってしまったえー

 

着物のセッションが終わり、コンビニのおにぎりを食べて電車に乗ったら

気持ち悪くなってしまったようえーん

 

4日目

原宿や青山辺りに行こうと思っていたけど、体調不良が続き

ホテルでゆっくりと。食欲も無くなってきて、うどんもあまり食べられず、

段々と弱ってきて、お医者さんに診てもらおうと、あちこち10件位電話をかけましたが。。。

近くにある内科医の受付とかで聞いても、うちでは診れないと言われたり。

 

海外から来ている、国保が無い、クローン病というので、何処も診ようとしてくれる所はなく。

 

電話口で色々事情を説明し、その中で体温は幾つかと聞かれ、私自身体温計を持っておらず、分からないと言ったら、話にならない体温計持っていないのは非常識だと言われたり。

 

私もかなりその時は苛立ちを覚えましたが、診てもらえるならと我慢して話をしていたら、

結局紹介状が無いと診れないと言われ、診てもらえず。

日本の医療機関は親切じゃないとこの時思ったけどプンプン

ホテルのフロントの人達が心配して色々声を掛けてくれたのが救いだったラブ

 

ホテルの近くにはマツキヨがあったので、そこに何度も立ち寄って、

水分補給の物を買ったり、体温計を買ったり。


オーストラリアの病院のメールを送り、今までどんな治療をしてきたかという履歴を送って貰った。こういう時病院とメールのやり取りが出来るのってやはり便利だなと痛感。

 

5日目 目白ー(スカイツリー)浅草

この日は目白のホテルをチェックアウトして、浅草方面へ。

娘は目白のこのホテルが居心地がよくて、ずっとここで泊まりたいと言っていた爆  笑

移動が多すぎだから、本当は同じ場所に1週間とか泊まっていたら良かったよね。

 

日本で紅葉が見たいと言っていて、12月だったけど、目白庭園が丁度いい感じの紅葉で

しんどいながら、何とかホテルから歩いて、目白庭園へ。

写真を撮ったけど、本当に辛そうだった。

 

この日は実家から両親と妹家族とスカイツリーで集合だったため、

目白から移動。私だけだったら、電車で移動が出来るけど、

娘の体力では到底無理と思い、タクシーで目白からスカイツリーへ移動。

6000円位かかったかな。オーストラリアだとUberだけど、日本はまだタクシー社会だね。

 

スカイツリーで無事、両親に会い、その後妹と甥っ子に会う事が出来ました。

水族館込みの入場券を予約していたけど、

私と娘はスカイツリーのエレベータで気持ち悪くなるかもと思い上らないつもりだったのが、

みんなが上がるからせっかく会ったのに淋しいからと結局私達も展望デッキまで。

 

私達以外、展望デッキから更に上にのぼるという事で、私達は先に下へ降り、

タクシーで浅草のAirBへ。展望デッキの更に上に行った甥っ子が気持ち悪くなり

戻してしまったようで、上から車椅子に乗ってスタッフ専用のエレベータで特別に

下ろしてもらったそう。両親と妹・甥っ子もタクシーで浅草まで。

 

エアビーの徒歩圏内にあるテイクアウトの出来るお店があったから、夕飯はそこで。

中々美味しくて、色々な種類がありとても便利でしたグッド!

 

6日目

本当は日光東照宮へ日帰りで東武鉄道に乗って行く予定だったけど、

この調子では行けないと、前日に東武鉄道をキャンセル。

 

娘の体調不良は続き、母と娘がエアビーに残り

私、父、妹、甥っ子で浅草寺に行き、電車で上野動物園へ。

パンダを見て、ランチを園内で食べ、他の動物を見た後、

Cafeで早めの夕飯を食べ、タクシーでエアビーへ。

 

母と娘の食べ物や、次の日の食料買い出しに私1人で歩いて10分程のコンビニまで。

 

食料を買ってエアビーに戻った後、母と一緒に浅草寺の大きな提灯まで行き、

戻った後、今度は妹と浅草内を歩き回り、夜中にもんじゃ焼きを食べびっくりマーク

かなりこの日私は歩いたと思うランニング

その間、娘は何も出来ず。。。

 

7日目

浅草のエアビーをチェックアウトをし、実家へ行く日。

 

この日の朝、とうとう娘は歩くこともままならない位衰弱してました。

母が実家近くの内科医に電話で聞いてみると、そこまで衰弱したら

救急車を呼ぶか、緊急医療センターとかに直に行くしかないと言われ。

 

病院もよく分からないからと救急車を呼ぶことに。

エアビーの近くは消防署があったから、呼んで直ぐ来てくれました!!

 

エアビーの建物に横付けして、中に入った後、色々説明をして

内容を把握してくれた状態で、行き先の病院を探してくれました。

 

浅草から行ける範囲の病院で、1から内容を説明すると診れないと断られ

また、違う病院へ1から説明という作業がこの時も10件程続きました。。

 

日曜日、海外から来ている、国保がない、クローン病というのが病院側が

受け入れない内容だったようで。

 

浅草寺病院、順天堂、東大、女子医科大、聖母病院などかけてくれましたが、

ことごとく断られ、数日前自分が電話して断れたのを思い出し

こんなに受け入れてもらえないんだと悔しい気持ちが蘇ってきてえーん

 

その間も救急士さんは落ち着いて1から説明を病院にしてくれて、

忍耐がないと出来ない仕事だと、3人の若い救急士さん本当に尊敬✨

 

病院が中々決まらず、救急車の中に入って約50分位すぎで、

ようやく聖路加国際病院が受け入れてくれる事になり、救急車が動きだした🚑

 

日本で救急車🚑に乗るのはこれで2回目。

移動中も1人の救急士が私がリラックスできるように話をしてくれ、凄く助かった。

本当にありがとう照れ

 

聖路加国際病院について、担架で病室まで運んでもらい、その後は研修医っぽい人と

看護師さん2人。ここは英語も多少出来るお医者さんや看護師さんもいたけど、

やっぱりnativeではないから、娘は下手な英語より日本語で話して欲しかったみたいてへぺろ

 

数日前に病院から送ってもらった履歴を見せた。今回聖路加での血液検査で、クローン病の数値は出ていない、その治療をする必要は今はないと言われ、今出来る事は脱水症状が出てるから、それを補う点滴をするとの事。

 

医者の質問や、看護師のアメリカ英語訛りの日本語で質問を聞かれ

どうやって答えればいいか分からず、そのうち体全体が震えだし始めた。


こんなに震えているのを見たのは、数年前、喘息の吸引器(ステロイド)をわざと吸いすぎてショックで震えだした時以来。あの時も大変だったけどね笑い泣き

 

何で震えたのかその時は分からなかったけど、色々悔しい感情、戸惑い、不安など、かなりのストレスでそうなったんだなぁと後から思った。

 

私はびっくりして、水分補給のこの点滴だけでいいのかと思ったけど、その処置だけで退院。

保険がなく、日曜日だという事で、数時間だけだったけど、78,000円がま口財布


オーストラリアに戻ってから保険会社に申請し、無事戻ってきました😊ただこの手続き、保険会社の申請は凄くシンプルで簡単だったけど、日本の病院のシステムが古すぎて、国内郵送を何度したことか。その度に時間とお金にかなり左右され、そこが大変でした😮‍💨


担当に電話も繋げれない、メールは送れない。病院に直接手渡しか郵送しか対応してくれず。結局郵送をしたら、今度はこれが足りないからまた郵送で送って、書類作成するのに郵便振込など、手間がかかりオーストラリアに戻っていたらどうなっていた事か。。


実家へ次の日移動するのは大変だからと思い、数日の間、東京に住んでいる弟家族の家にお世話になろうと思ったけど、

義妹が元々体が弱く、私たちが行ったら大変だからと父が反対し、

結局その計画は無しにショボーン

 

エアビーのチェックアウト日だったけど、事情を話しもう1泊延泊する事にしたから

退院後、タクシーでエアビーへ。父と母は一緒に残ってくれ、妹と甥っ子は自宅へ帰宅。

 

実家へ行くのに4人分の新幹線チケットを先に買っていたから

払い戻しをしに駅へタクシーに乗っていった父。

心配しすぎて、タクシーの中に携帯電話を忘れ、

エアビーに戻った時に携帯が無い事に気づき母の助言の元、

近くの警察署へ。警察署の電話から自分の携帯に電話をしたら、

タクシー運転手が出てくれ無事に手元へ。

不幸中の幸いとはこの事かな?!

 

このまま実家に行って1カ月半日本で過ごすか、数日東京にいて、

オーストラリアへ戻るのかの選択肢を娘に与えた所、

ここまで来てオーストラリアへ帰るのは嫌だという事で、

頑張って実家へ行く事に。

 

長い一日だったなぁ。。。

 

持病をもって、いかにオーストラリアから日本へ行く事が大変だというのが、

身をもってあらためて感じた日々でした。

 

次回、旅行に行くのはちょっと躊躇ってしまう。

けど、娘は日本にまた行きたいと言ってます爆  笑