新型コロナの影響。かかりつけ医は重要 | 目指せフルリカバリー! ギラン・バレー症候群からの回復日記

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生まれてこの方55年間、一度も大きな病気や怪我をしたことがなかったのに、生まれて初めて入院。全身麻痺になり、人工呼吸器のお世話になりました!

#心筋梗塞 😱
新型コロナの影響。かかりつけ医は重要


昨日は、心筋梗塞を起こした時に検査と初期の治療を行い、救急車に同乗して救命救急センターに連れて行ってくれた、近くの病院の医師にお礼を言いに行きました。


元気な姿に戻って歩いてきた姿を見て、医師も看護婦さんも喜んでくれました。


医師から改めて当日起きたことを聞いて、つくづく自分は良い人達に恵まれていると感謝の念に堪えません。


今は、新型コロナの影響で救急病院が受け入れられる数が減っています。救急車を呼んでも搬送先の病院がなかなか決まらずに手遅れになったり、どこの病院に搬送されるか分からないので、例えば、心筋梗塞の治療ができない病院(2/3の救急病院はできない)に搬送されて手遅れになるようなリスクが高くなっています。


私も救命救急センターに搬入されると、すぐに新型コロナのPCR検査を2回受けました。従来のようにすぐに受け入れられないのでいろいろと滞るだろうという様子が分かります。


退院した日に訪問看護の看護師さんから聞いた話しによると、本人は胸焼けで食道か胃ではないかと言っていたが、(医師ではないし検査もできないので診断はできないが)心臓疾患を危惧したとのこと。


そこで、まだ心筋梗塞とは分かっていなかったこともあり、あえて救急車は呼ばずに、近くの病院に連れて行くことにしたそうです。その病院は大学病院から医師が来ているので、万が一の場合は、その大学病院にすぐ搬入されることを期待したそうです。


実際、近くの病院の医師(内科医)もすぐには診断がつかず、循環器内科の医師の協力により心筋梗塞が分かり、すぐに血栓を溶かす薬の治療を行い、(訪問看護の看護師さんの思惑通り)大学病院に連絡を取ると(救急車に同乗し)救命救急センターに搬入してくれたそうです。


ギランバレーの在宅療養でもう5年近く診てもらっている訪問看護の看護師さんのおかげで救われました。


昨日は、その医師からギランバレーの主治医である同じ大学病院の神経内科医もCCUに様子を見に来てくれていたことを聞きました。その時は意識が無かったのか知りませんでした。大学病院の医師達は思いの他、良く繋がっているんですね。


普通の人は、日頃から良いかかりつけ医を見つけておくことが重要ですね。どこの大学病院と繋がっているかも大切なポイントです。(個人の感想です)


そう言えば、当日救急車の中で、救急車の稼働率が80%を越えていると無線で話しているのが聞こえました。私を運んでくれた救急車も近くからではなく、ずいぶん遠くの消防署から来ていました。恐らく1日中都内を走り回って、あっちの急患をこっちへ、こっちの急患をあっちへとせっせと運び回っているのでしょう。


その時の救急隊の人(誰だか分からない)に直接お礼を言えないのが心残りです。


新型コロナの医療への影響は侮れません。みなさまもお気をつけください。


発症からの時間経過
 9:15 急に胸焼けを覚えた、逆流性食道炎かと思った。
 9:37 いつもの訪問リハビリ療法士さん到着。看護師さんを呼ぶことに。
 9:50 訪問看護の看護師さん到着。心臓かも知れないので近くの病院へ。
11:15 タクシーで近くの病院へ到着(すでに2時間経過)
    検査後、すぐに血栓を溶かす治療を受けた
14:00 救急車で大学病院へ搬入される(すでに4時間45分経過)
15:00 救命救急センターで治療開始(推定。すでに5時間45分経過)
    すぐに2回心臓カテーテル手術を受けて血栓を取り除いてもらった。しかし、5回も心肺停止を繰り返しては蘇生されるほど大変なことになった。
12日後 救命救急センターのCCUから一般病棟に移動
21日後 一般病棟で3回目の心臓カテーテル手術。
    血栓がきれいになくなっていることが確認された。
25日後 退院


失敗したこと
1.心筋梗塞に気づかず、すぐに救急車を呼べなかった。
2.もし胸痛の発生から2時間以内に治療が終了していれば、後遺障害は残らないそうです。しかし間に合わなかった。
3.もし発症後4時間以内に閉塞した血管を再開通できれば、細胞が死んでいくのを止めることができ、死亡率も減少するとのこと。しかし間に合わなかった。


幸運だったこと
1.訪問看護リハビリの日だった。訪問看護の看護師さんが、できるだけ早く大学病院に収容されるよう配慮してくれた。
2.心筋梗塞では亡くなる人の半数以上が、発症から1時間以内に集中。そのため病院に到着する前に亡くなる場合が多いが、まだ生きていた。
4.近くの病院ですぐに血栓を溶かす治療を受けられた。
5.より高度な医療が提供されている救命救急センター(三次救急医療機関)に収容された。6年前のギランバレーの時と同じ大学病院なので、既往歴の詳細もすぐに医師が参照できた。
6.急性心筋梗塞の治療のゴールデンタイム(心臓のダメージを少なくすることができる時間は6時間)に間に合った。
7.右冠動脈だったので軽微な損傷で済んだ。左冠動脈だったら即死だったと医師から言われました。
8.良い人達に恵まれていたこと。


幸運を招いた努力
1.日頃の健康管理により動脈硬化がなかったのでステントも必要なく血管が元に戻った。
2.脚は第2の心臓と言うが、よく歩いていたので回復が速かった。


得られたこと
1.3ヶ月と3日の入院なのに、体力ががっくりなくなっていて、最初は座るだけでもすぐに疲れてしまうことに驚いた。高齢者は寝ているとフレイルになるというのが良く分かった。
2.ギランバレーの時よりも病棟の医療スタッフと良いコミュニケーションが取れたので、快適な入院生活を送ることができた。
3.良いコミュニケーションを取るには、正しい質問が重要なことを実感した。


?なこと
心筋梗塞を起こした血栓がどうしてできたのか? どこから来たのか? 直接的な原因が不明なこと。健康な人でも突然心筋梗塞を起こすことがあるそうです。


 


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