死と伝染病 緊急事態宣言発令18日目は、プレミアムフライデー! | 目指せフルリカバリー! ギラン・バレー症候群からの回復日記

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生まれてこの方55年間、一度も大きな病気や怪我をしたことがなかったのに、生まれて初めて入院。全身麻痺になり、人工呼吸器のお世話になりました!

私達は今100年に1度のパンデミックを経験しているのだそうな。100年前にはスペイン風邪で、200年前にはコレラで同じような経験をしているらしい。

200年前の幕末から明治にかけて起きたコレラのパンデミックについてググってみたら、こんな記事が出てきた。

30年前にインフルエンザが流行した時に書かれた記事だった。

死と伝染病
http://web.sanin.jp/p/sousen/1/3/1/4/7/

資料に書かれていた本は、残念ながら絶版になっていた。電子組版になる前の本は手に入り難いので困る。

200年の前の出来事を見ていると、今も似たようなことが起きているのに驚く。

以下引用、、、

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迷信との戦い

 明治にはいって最初のコレラが明治10年9月に横浜に発生した。清国のアモイに流行していたコレラが、米艦によって運ばれたものである。この年の流行で患者1万4千、死者8千人を出した。コレラの流行はそれからも絶えず繰り返して、明治時代のコレラによる死者の総数は37万人となった。

 これは日清、日露戦争の死者の数を上回るものである。横浜では、劇場、寄席など人が集まる場所の営業が禁じられた。またコレラよけに、不動様で護摩を焚いたり、赤紙に牛の字を三つ書いて門口に張りだしたり、八ツ手の葉を下げるなどのまじないが見られた。(明治10年9月22日の新聞より)

 また、コレラ避病院は人の生肝を取るとのデマが流れ、そのため医師が悪魔のように見做された。12月末に千葉県の医師沼野玄昌は、土地の漁師に囲まれ、竹槍で数ケ所の傷を負い、死骸は加茂川に投げ込まれるという事件が起きている。

 明治12年、南葛飾郡中平井村の若者がコレラの祈梼に、寺の経櫃を担ぎだし、「コレラを隣村に送れ、送れ」と囃しながら村内を練り歩いた。これを、隣村の者が聞き付け、同じように神社から獅子頭を担いで、コレラを隣村に送れと叫び歩いているうちに、両者が村の境で行き合い、喧嘩となる事件が起きている。(明治12年9月17日の新聞より)

 また愛知、三重県でもコレラよけのために、踊りと百万遍が大流行。伊勢では、コレラ踊りと会議と病院の悪口と石炭酸が当節の流行なりと言いはやし、辺鄙に至っては巡査が井戸に毒を入れて回ると、様々な風評が飛んでいた。

 明治13年までのコレラ患者総計は16万8千人、うち死亡者は10万人。予防として全国で使用した消毒代は100万円という。
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金曜は仕事で外出。久しぶりに出歩くと、目に入る景色が新鮮に映る。

バス停のツツジ。バスは意外と乗っている人が多い。それもお年寄りが多い。相変わらずお年寄りの足代わりなのだろう。


日高屋でランチ。仕事で外出すると、交通機関を利用するし、食事も外食になってしまうので、感染に気をつけないといけない。


地下鉄有楽町線は流石にガラガラ


仕事の後の一服♪ 私鉄ローカル駅前にまだ開いている喫茶店があって良かった。感染に気をつけないといけないけど、、、


夕飯は成増の天丼てんやで桜づくし。


西友ストアで食材を買って帰ろうと思ったら肉が売切れ! なんで?給料日だから?


帰宅したら映画でも見てリラックスしようと思ったら、チャットをしているうちに夜中になってしまった(笑)



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