「生命の意味論」多田富雄著 1997年 を読みました。
前著「免疫の意味論」の続編。免疫系の観察から得られた「超システム」の考察を、個体の生命、人間、そして人間の生命活動としての文化まで広げて論じている。
雑誌「新潮」に1995年から1996年まで連載したものを書籍にまとめたもの。
雑誌の連載だったので、難しい専門用語も繰り返し説明が出てくるので読み易い。
すでに20年以上前に書かれた本であるにもかかわらず、いま生物学的に当たり前と思っていることが、実はひどく古い知識に基づいていることに気づかされる。
例えば、生物はDNAという設計図に従って作られるというのは、もはや古い工学的アナロジーでしかなく、遺伝子にはあいまいなところがあり、例えば、双生児やクローンであっても、工業製品のような同じ個体は作れない。
DNAは、まるで料理のレシピのような目安で、その時の環境と偶然が重なりあうことで、実際にできるものは、その都度似てはいるが異なる。
また、例えば、最近になって日本でもLGBTがタブーではなくなってきたが、まだ同性愛は歪んだ思想の産物と思っている人も多い。
しかし、20年以上も前の当時すでに、男女の性は生物学的にあいまいなもので、人間以外の動物の同性愛的行動も明らかになっていたことに驚く。
まず単純なものの複製に続くその多様化、多様化した機能をもとにした自己組織化と適応、内部および外部環境からの情報に基づく自己変革と拡大再生産等、高次の生命システムが持っている属性が、、、
言語や都市、民族、国家、経済、宗教、官僚制など、企業や大学などの組織や行政、音楽や舞踊などの文化現象にまでも見ることができる類似性の話しはとても興味深い。
例えば、団地の集合住宅街が、都市という生命体に寄生し増殖し続ける癌のように見えることがある、というくだりには共感を覚える。
本書で述べられている、生命は、当面の目標はあるが、本当の目的はない。それ自身が自己目的化しているシステムだという話しには、生きる意味について深い示唆を与えてくれる。
(^_^)v
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生命の意味論