本題に入る前に、今日の我がスケジュール、貴重な病院のフルセット。

まず血液検査、最初の診療は皮膚科、レントゲンの撮影があって9階の

コンビニでランチ、お赤飯のおにぎりとオニオンスープ。そして整形外科

で診察と注射。最後に乳腺外科、結果だけ聞きに行ったのに、左のお乳も

がんありで、急遽針生検査、パキンを4針行きました。ようやっと終わって、

お薬をとりに薬局へ、混んでいたので、ドトールでひさしぶりのエスプレッソ

とスイートポテトで一息。薬局に戻って、病状を説明して薬をゲット。

長~い一日でした。

NO465回はS52年(1977年)10月3日放送で、2時間の特別編成でした

PDは藤森部長と疋田さんのお二人

この回、何故か、ザ・ドリフターズがご出演、当然このオープニングは塚田

先生作、ただ、この台本の厚さは、その年から台本を書いていた私が

かかわっていた証拠です。

 

厚さ2センチ ページ数は240ぺージ

 

もちろん、表紙に、私の名前は、載っていません、

この番組に名前が出るという事は大変な事でした、台本にのるという事は

番組のテロップにものるという事です。

でも、私が書いたといえるのは、この台本の厚さ、そうです240ページ

のうち、司会の芳村さんと井上順さんがおしゃべりする部分は

240ページの10%、24ページにも満たないのです

 

それなら後の部分は、何? そう歌詞なのです。

その歌詞を書いていたのは、私です、音楽番組である以上歌詞は台本の

大切な生命線なのです。

ただ、歌詞を移すのなら、こんなにページ数はいりません

この回のピンクレディーのペッパー警部の歌詞で見てみましょう

このペッパー警部の歌詞、全部で7ページあります

歌詞の歌割り台本を、たぶん私の時代から始めたのです

今の時代なら、リズムで、小節で割っているかもしれません、この歌割は、

ヒットスタジオならではの、疋田さんがカメラワークを考えるための

私が作った台本なのです。

 

私は、言葉で歌を割りました、音楽を分かっている人からしたら、何をあんな

ものと、思われていたかもしれませんが、

疋田さんは、馬鹿にしませんでした、そして、このやり方を採用してくれました

 

ーこの回、明日へ続きます