金融と雇用不安・・今までの常識が壊れています。

投資の世界も発想の転換が必要のようです。
海外との金利差が事実上無くなりつつあります。
つまり、外債ファンドの毎月の利息収入が減るということになります。
さらに、FX(為替証拠金取引)のスワップポイントという長期的な投資を試みる得策も無くなりつつある昨今の世界的な経済政策の影響と現状です。

さて、年末年始・・。

東京の日比谷公園にて「年越し派遣村」という開放活動がありました。

昔、日本には土光さんというしっかりした方がいらっしゃいました。
今、御手洗さん・・もうちょっと、しっかりしている方だと思っていましたが、観音の名前が泣きます。

日本のビジョンのない経営者は、もっと糾弾されるべきだと思います。
株主ばかりを喜ばせて、会社組織の一員として働く非正規・派遣社員ばかりの首を切るということは、何事か!

さらに、失業者、雇用不安の方々・・これらの人材を福祉や介護の業界にという声もあります。

では、介護を職とする人間は、仕事がないから介護の仕事をすべきなのでしょうか?
人手不足の介護従事者には、刑務所帰り、高校中退者、離婚者が多いのも事実です。

福祉やら介護は、経済活動とは、別次元の世界です。

しかし、豊かな福祉国家になるのには、そのまえに豊かな経済国家となる前提があります。

モノを売り買いして、お金を稼ぐ仕事や手順を社会人として先に覚えないと、そのまま、福祉・介護の仕事に就くのは、どうかな?
 
・・という基本的な生き方、心の在り方、老人や障害者の弱者対応、これからの生きがいとしての疑問です。

でも、一時、勝ち組、負け組という区分けが、クローズアップされましたが、逆に、貧困層やら失業者問題を含めて、日本の福祉・介護問題が、これほど社会的な脚光を浴びることは善いことだと考えます。

金となるモノ作りの工場で働く方と・・命を預ける老人施設等で働く方とでは、その仕事に対する働き方、考え方が、同じであってはなりません。
しかし、現状の介護の現場は、工場のような時間制限内で動いています。

加えて、どちらの経営者も、ほとんどが同じ動き、考え・・コスト重視の工場経営感覚やら分配金を得るための投資感覚を持ち合わせています。

金融と介護という切実な問題が、結びつくとは考えてもいなかったです。

大晦日の紅白歌合戦の視聴率・・「羞恥心」が歌っていたときが、最高潮だったとか!

学知や博識や知識や学力がないということが羞恥心ではないのです。

ある意味では、日本を動かす国会議員や政治家や経団連の経営者や経済人の保身そのものが、羞恥心と呼ぶべきものではないでしょうか。