大前研一さんが予測しておりますが、将来の日本は、すべて中国の10%国家になるとシュミレーションをしています。
軍事力、経済力も全部、中国の10分の1程度になるという計算です。

はてさて・・中国の北京オリンピックへの聖火リレー、世界中で注目です。


ところで、「健康のためには死んでもいい」とジョークを飛ばした人がいました。

「平和のための争いや人権抑圧、はては世界平和のために戦争をする」どこかの国々を思い浮かべながら、笑ってはすまされません。

平均寿命は伸びたとは言え、殆んどの人間は百歳に届かずに、この世から去って逝きます。

にもかかわらず、何故人間は、大国主義、愛国主義、はては大量殺戮兵器までを手にしたがるのでしょうか?

若い娘がブランドで身を飾り、プライド武装をして、街を闊歩するのに似ているのでしょうか?

広島の平和公園の原爆慰霊碑には、「安らかにお眠り下さい。過ちは、二度と繰り返しませぬから」とあります。

「武器よ、さらば」の強い決意だったのです。

また諺には「罪を憎んで人を憎まず」というのがあります。

あいつが悪い、どの国が悪いと、犯人さがしは、もっともなことですが、一番悪いのは、「戦争」だという究極を忘れないで欲しいものです。

もちろん、泰平300年の徳川時代の記録保持国、日本としては、また唯一の被爆国として、
宮沢賢治の「雨にも負けず、風にも負けず・・」調に、「戦争はつまらないから、やめろ」と迷える大国を諭し続ける努力をすべきでしょう。

有史以来、日本が外敵に怯えた経験は少ないはずです。
鎌倉時代の蒙古来襲から明治のバルチック艦隊撃破までの神がかり、奇跡的な勝利がいつしか神国日本思想を創りあげるに至りました。

戦後の総理大臣においても、日本列島を浮沈空母に例えたり、つい先ほどの総理で神の国発言で物議をかもした例もあります。

「日本は特別な国」という亡霊にあやつられてアジアの近隣国を土足で踏みにじったのも事実です。

それが、アメリカという道具主義物量大国に、精神主義日本は完膚なきまでの敗北を帰されたかに思えましたが、その思想は蛇のように執念ぶかく生き永らえて、経済大国ジャパンを創りあげるに至りました。

ほんの20年程前には大国アメリカを凌駕する勢いだったのは周知の通りです。
高下駄をはいて転んだ感は否めない、付けがまわって来たとしか言いようがありません。

「普通の国日本」への軌道修正のほかはないのです。
グローバルスタンダードの弊害、合理主義、契約主義の薄情さをはかなんでも致し方ありません。

毛並みが違っても言葉が違っても、サッカーや野球で証明されたように、人間性やその心に於いては、さほどの相違もない筈です。

優勝劣敗、勝ち組負け組、とかいう低次元の考えこそ浅はかです。

かつて関東軍が、軍事力で創った満州王国。
大東亜共栄圏の誤りを繰りかえさない為にもスタンダード(標準普通)を受け入れてもバチはあたらないと思います。

また日本人の庶民気質には、何でも飲み込むフードファイターのような大きな胃袋は持ち合わせている筈です。

75日ですべてを水に流す楽天思想も、これ日本人特有です。

狭いニッポン、うさぎ小屋のような家ではあるが外人さんいらっしゃいの姿勢、また他国に行く場合は、他人の家におじゃまするような・・かつての日本人が古来持ち合わせた謙虚さが肝要だと思います。

オリンピックへの聖火とは言え、世界は、ふりかかる火の粉ならば、振り払わなければなりません。

そう、カサブランカのラストシーンのように、「他の方法を探せ」と言いたくもなります。

平和の火を燃やし続けて・・。