以前、富士山の近くに住むネットの友人から、面白い話を聞きました。

近郊のとある町に、志下(しげ)という地域があるらしいです。

その昔、偉い僧が、この地を訪れた時に、性悪な輩が多くて志の低い人達の集落という意味合いをこめて、その僧が、志下と名づけたと言うのです。

志が高くとも、軽率な行動で、囚われの身になることもあります。

志が低くとも、慎重な行動で、報われの身になることもあります。

人間の道理とは、志の上にあると思うのです。


でも、志の下で、人間は、生かされているような気もするのです。

だからこそ、人生は、道理で・・巧くいかないはずです。