人生の午前でもあった若い頃、結婚願望があった。
そして、夜な夜なよくこんな妙な結婚生活を夢に描いていた。

休日には、近くの河原の土手にゆき親子三人で自転車に乗ったり、バドミントンをしながら過ごしているのである。
夢の中で、とても穏やかで落ち着いて、理想の家族像に映っていた。

結婚後、息子が出来て・・親子三人、近くの河原に散歩にでかけて、まるでデジャブかのような時間を過ごした。

ささやかな夢が現実と一体化した人生の至福の姿だった。

至福の時は、だんだんと色褪せてゆく。
その後、そのような夢を見ることもなくなった。

昨日、緑効青汁を飲んでベッドに入ると、眠れなかった。(笑)
眠れない夜を越えて朝を迎えて、午後になり、夕方になって夜を迎えた。

ある事に気がついた。

甘い生活や仕事、もしくは苦い生活や仕事は、日常のなかで変化してゆく。

そう、人生の理想の結婚生活やら天職なんて・・これも妄想なのだ。

そこで、一年一年の最善と思われる事を創造もしくは想像して、その最善たる夢を見るのが最高の目標かなと思ったりした。

その夢を見るべき理念と創造の産物こそが、妄想の概念を通り越して、確実な指針となり人生の幸福感への示唆となるかもしれないと考えた次第である。

すべての理念も長い時間、野ざらしの状態では、朽ちた現実上の日常生活になる。

つまり、妄想でも想像でも創造でも理想でもよいのだ。

どう惑わされずに、生きていきたいのか・・
・・まず夢を見る資格として問われる。

人生の午後、眠れぬ夜を超えて・・。