日本の夜明けを開いた幕末の志士、坂本龍馬が、現代に生きていたら自己破産していたであろう。


日本の防衛省の事実上のトップだった守屋前事務次官の山田洋行、日本ミライズとの癒着行為は、幕末の時代に生きていたら間違いなく斬首、切腹に値するものである。


「日本をいま一度洗濯いたし申し候」

坂本龍馬が土佐高知の姉に書き送った書状(手紙)に、この言葉が書き残っている。


この手紙を書いた時期は、越前福井から京都に戻った頃である。
越前福井藩主松平春獄から五千両という大金の借用に成功・・神戸海軍操錬所の建設資金だったとか・・。

五千両・・当時の福井藩の年間予算に匹敵したらしい。


その後の坂本龍馬の活躍は、めざましい。


亀山社中、のちの海援隊の結成・・大政奉還に至る薩長同盟の立役者・・日本初の新婚旅行、船中八策の起案・・等々。


坂本龍馬は、福井を二度訪れている。

最後となった次の訪問は、大政奉還を成功させたあと、新政府樹立直前に来福。
福井藩士 三岡八郎(のちの由利公正、日本の初代大蔵大臣・・五箇条の御誓文の起草)らと歓談。
その後、京都に戻り、まもなく暗殺された。


今尚、坂本龍馬に貸した5千両は、福井に返済されていない。(笑)


日本の洗濯代として、帳消しにしてもよいぐらいの価値ある借財だったかもしれません。


ワクワクするぐらいの多くの時間がありますように!