大学時代の第二外国語は、フランス語だった。
卒業後、ラテン語を習いにアテネ・フランセに通ったり、社会人になってからは、企業内での語学セミナーで、各1年間、中国語とドイツ語を学ばせてもらったりもした。
その他、個人的には、スペイン語、ギリシャ語、イタリア語、ロシア語のテキストブックも沢山所蔵している。

・・・残念ながら、全くモノにならなかった外国語語学学習だった。
今思うと、心底必要に迫られないと外国語修得は難しい。


では、英語は、どうかというと、それなりに(小学生並みのレベル)一通りの読み書き、話すこともできる。
何故かと言うと、心底、必迫したからである。


随分遠い昔、華僑系の女性と親しくさせていただいた頃、英会話と中国の歴史文化を知らず知らずに猛烈に学んでいた。


その後、幾つかの異国の女性との恋愛、海外取引上のお付き合いを経験しながらも、残念だったことは、異文化のコミュニケーションは、すべて英語だった。


振り返れば、上っ面のコミュニケーションだったが、言葉の力は、心の力に相通じるものなのである。


単純なことであるが、とりわけ若い頃・・
もし東京で、恋する相手が現れたとする。
と同時に相手のバックグランドが気にかかる。
その出身地が判ると、その土地に興味も示すようになる。
逆に、その相手に恋人なり愛人なりがいて、嫉妬が生じたとする。
その恋敵のバックグランドや出身地を聞くだけで好感を憶えなくなる。


四季の季節感、異国間、異文化の理解も同じである。


アメリカ人が嫌われる理由のひとつは、昔、アメリカ兵が現地で女性にモテると、嫉妬に狂う現地の男性は、アメリカ嫌いになった。

国際恋愛や結婚は、世界中を親類付き合いにさせるが、その反面、敵対心や、いざ戦争も生じさせる。


日本人が、世界で嫌われる国とか、好かれる国・・という丸ごと日本人全体を扱うアンケートの取り方も変な話である。


日本人男性が・・日本人女性が・・日本人中性が・・日本人若年層が・・という風に、区別したほうが、話が面白くなる。


夏には、冬が恋しく、感傷的な秋には、春の勢いが欲しい。


朝、7時半からNHK衛星で朝ドラマ「ちりとてちん」を観る。
そのあと、随分昔の朝ドラマ「都の風」が再放送されている。
その初っ端なオープンニングに天下第一の名園と謳われる銀閣寺の庭園が映し出される。


その昔、上記した華僑系の方を京都に案内をしたことがある。
日本の神社仏閣は、中国の亜流、支部のように映るのであろう。
彼女は、ほとんど興味を示さなかった。
東京や広島の方が、印象深かったようで饒舌だった。


時がすぎて、秋の紅葉の時季に想う。

日本の秋は、世界一、彩色艶やかで、また鮮やかである。
春、夏、秋、冬、そして異文化・・その「散りぬるを」知る人が、大勢いるだけで、世界中の心が豊かになるのではないかと思ったりもする。


色は匂えど散りぬるを。