菩薩はボサツと読むが、もともとサンスクリット語なので、正確にはボサーという。

日常でぼさっとするなのボサは、「生身の人間は忙しいので、菩薩様のようにぼさーとするな」という事からきているような気がする。
 
ただ、どんなに忙しい日常でも、一日の最初と終わりに朝日を夕陽をボサーと見るような気分で、何分か脳みその中で、サンラ伊豆と山セットを想像する時間が欲しい。

静と動のバランス。

静があってはじめて動が生かされる。