常に距離感と客観性でもって、自分の存在を見つめなおさねばいけないのでしょう。
自分のことは案外分からないものです。
例えば、日本の片隅の福井の一角で何ほどの存在感をかもし出しているかと問うと、0に等しいです。
さんご礁のなかの、ほんの小さなイソギンチャクにすぎません。
なぜ、それに甘んじているのかというと、考え方が縮小したからです。
ドンドン拡大するイメージをいつの間にか消し去ったことによる停止状態であります。
最良のサービスを心掛ければ、ドンドン最大の効果が生まれるのは、宇宙のエネルギーを一身にうける座禅の姿にも似ていて、独楽は止まっているようで実は相当な回転で動いています。
地球も独楽とすれば、地球も動いていないようで、実は大変な回転で動いています。
人間は、動物であるから、いつも動いているようですが、止まっています。
座禅の姿勢を一日一禅でもって、エネルギーの蓄積と心掛けねばいけません。
バッテリーが消耗した状態では、車も走れないように、人間も案外無駄に動きすぎて、充電をしないから、空回りの行動が増えてきて、運命さえ逃してしまいます。
座禅を無駄と考えている人間が殆んどかもしれません。
しかし、どんなに忙しい人間でも、どんなにスピードのある乗り物を運転している状態でも、一瞬一瞬、静止駒の連続です。
一日早起きして、30分の座禅。
そして、必ず何かの目算なり計画なりに動くと「犬も歩けば棒にあたる」はずであります。