対面を保つ為に、建前の言葉を作りあげ、より複雑化させてしまった。(遠慮 儀礼の文化)


日常の行動の中で、一見無駄と思えることも、実は不必要なものはなく、これは訓練のひとつであると考えるべきであろう。


本当に必要なものは、数少なく、陶芸の釜だしのように、満足するものは少数で、土に返すのが多いのと似ている。 よって、満足

は多くの無駄に支えられている構造である事を理解すべきである。

どんな善人っぽい人でもたまに悪人を演ずることがある。


これは、性善説と性悪説があるが、時と場合条件によって、この大刀と小刀の使いみちが出てくるのであって、 まったく正反対の性格のものではないのである。