千里を走る駿馬も、杭につながれっ放しでは、駄馬、山羊に等しい。


杭のまわりの草をはむに終わってしまう。

かといって解き放された山羊は、常に危険がついてまわる。 よらば大樹の陰ということにもなる。


自分が駿馬と思いたいのが、人情であるが、駄馬かも山羊かも知れない。


仮に山羊としても、考える山羊でありたい。


自らの行動範囲、守備範囲を守っていれば杭に繋がれることもなかろうに、 切れた凧のように、どこに行くやら判らないと、繋がれる。