境内は広くとても立派です。^^
御朱印頂きました。
境内、兼務含めて印はこちらしかありません
兼務先も教えてもらえました。
禰宜さんらしき方が境内にある神社などお話ししてくれました。
お声が小さいまで聞き取るのが大変でした。^^
ありがとうございました。
【由緒】
明徳元年越前国敦賀郡気比神宮より、八幡大神の御分霊を同国笠原右源太が当地に奉遷。その後河野加賀守森幸が
右源太の孫左衛門をして本殿造営をしたが、松前藩祖信広との戦乱の為祭祀営繕不能となる。蝦夷地大乱の時
松前藩4代慶広が南部大澗より渡来の智楽院(藤山家の祖先)に七飯村藤山頂上で必勝祈願をさせ大勝し、その時アイヌ勢が七重浜の
柏樹草木を軍勢と見て降参したのは八幡宮の加護と、藩祖信広の大弓半弓矢を奉納、正月6日の法楽神事を仰付け
七重浜の柏樹林の伐採を禁じ、松前藩の祈願所に定めた。慶長8年10月本殿拝殿を建立(現神輿殿・文久2年8月改築)。
毎年祭祀料玄米25俵、各村の役納を仰付け大祭毎に代参。明治元年蝦夷統督清水谷侍従参拝。戊辰戦争では
幕軍榎本武揚・大鳥圭介等が当宮神殿で降伏を誓約。同2年8、12月侍従東久世通禧参拝。同9年郷社。
同15年有栖川宮一品幟仁親王御真筆の奉納。同41年神饌幣帛料供進神社に指定。





























