我が家の梅の木にも実がなりました。

今年は、例年より大分少ないです。

梅シロップをつくりました。

熱湯消毒した容器に、

梅1kgと氷砂糖1kgを交互に入れ、

最後に発酵防止のお酢を加えます。

日の当たらない冷暗所に置き、

一日一回は、容器を揺すって

液を梅全体に回します。

氷砂糖が全部溶けて、

梅がしわしわになったら完成です。

私は冷たい炭酸水で割って飲むのが好き。

過酷な夏の疲れを癒してくれる

最高の飲み物です。

 

 

 

地元の精神障碍者家族会の会報誌に

紹介されていた本です。↓

 「静かなる変革者たち」

  横山恵子×蔭山正子×こどもぴあ

ぜひ、読んでみたくて探しましたが、

図書館にもAudibleにも取り扱いがなく、

メルカリでやっと見つけたので、

即刻、購入しちゃいました。

 

この本には、

精神疾患の親をもつ子どもたちが

どのような経験をし、影響を受け、

どう自分と向き合って生きてきたかが

赤裸々に語られていました。

守られ、愛されるべき子ども時代を

恐怖と不安と孤独の中で過ごした彼らの

「家族は家族、支援者にはなれない」

という言葉には重いリアリティがあります。

そして、

精神疾患の親を持つ子どもだけではなく、

親・兄弟・配偶者など家族のすべてに

同じことが言えると思いました。

 

本書で紹介されたある女性は、

後に精神科訪問看護師になるのですが、

家族だからできることや

家族にしかできないことはあるけれど、

むしろ、心理的な距離を置いて

冷静に対処できる家族以外の第3者の方が

支援者としてふさわしいと思っています。

と同時に

家族も患者とともに大きな困難を抱え、

支援を必要としているのだということを

多くの人に知ってほしいそうです。

 

彼女の子ども時代の話は壮絶でした。

母親の症状が悪化して大暴れしていても

だれも助けてくれなかったそうです。

自殺未遂を繰り返す母親から目が離せず、

眠れない夜が続き、

学校にも満足に行けなかったそうです。

病院に助けを求めても、子どもだった彼女に

「本人を連れてきてください。」

「病院に来なければ治療はできません。」

という対応しかしてくれなかったそうです。

受診を拒否する患者に対する

こういう対応は今でもよく耳にします。

(同じことを私も言われました)

 

日本には、昔から、

家族の問題は家族で解決すべきという

「自助」の考え方が根強くあり、

障害者を支えるのは家族の責任と

考える人がとても多いと思います。

でも、日本人の責任感や我慢強さ、

他人に頼りたくないという家族の思いが

障害者を支える制度や仕組みの促進を

大きく妨げてきたかもしれません。

障害者のために家族が犠牲になるのは、

決して美徳や美談ではなく、むしろ、

社会の成長を遅らせるということを知り、

私も「目からうろこ」でした。

 

また、障害者の家族が抱え込み過ぎて、

自分の人生をなくしてはいけない

と何度も強調されていました。

家族は自分の人生も大切にしていいのだ

という言葉に救われる気がしました。

そして、当人にとっても家族以外に

頼れる支援者が一人でも多くいた方が

絶対にプラスになると思いました。

 

私も親の責任として、

命ある限り息子たちを

全力で支えていかなくてはと

かなり肩に力が入っていましたが、

親亡き後のためにも

他者に頼ることを躊躇してはダメだと

考えが変わりました。

 

家族の在り方について

たくさんの気付きをくれた一冊でした。