木内昇「漂砂のうたう」(2011年、集英社)を読んだ。
(小説の時代背景を日本史年表から)
1855年(安政2)10月安政大地震、壊家焼失14,346戸、町人の死者4千人余。(主人公の母がこの地震で亡くなる、4歳のとき)。
1867年(慶応3)大政奉還。
1868年、3月江戸開城
5月討幕軍、上野に彰義隊を討つ
9月明治と改元
1872年(明治5)、初めて全国の戸籍調査実施、総人口33,110,825人。
福沢諭吉「学問のすゝめ」第1編刊、〜1876年まで17編刊。(妓楼の下働きの嘉吉まで読んでいる、ベストセラー)。
1873年(明治6)、徴兵を定める。
1874年(明治7)、2月佐賀の乱、4月江藤新平処刑。
4月板垣退助ら高知に立志社を創立→自由民権運動。
1876年(明治9)11月萩の乱、12月首領前原一誠斬罪。
1877年(明治10)、2月西南戦争始まる、9月西南戦争終わる、西郷隆盛自刃。
(小説の舞台)
根津遊廓、美仙楼。
主人公、定九郎は武士の家(父が講武館の師範代)の次男として生まれ、御一新のあと家を飛び出し、流れ流れて、遊廓の立番として働いている。本名は信右衛門であるが、捨てて定九郎と名乗る。百性の出であるとしている。飛び出してから一度も家に便りを出していない。
遊廓の実態、美仙楼での仕事、花魁、遣手婆、妓夫太郎、妓夫台、本番口、立番、やくざ者、賭博の胴元、などなど詳しく描かれる。
江戸末期に育ち、明治維新の時は17歳、家を飛び出し10年。世の中は西南戦争でも分かるように元武士は生きずらい。
武士にとっては災難の時代である。士族になり家禄はなくなりわずかな元手で新しいことをやっても武士の商法でしかない。ほとんどが失敗している。
定九郎も武士は捨てて百性になったつもりで働いているが底辺の底にいるようで考えることがたくさんあるのだ。
兄政右衛門に偶然出会うが俥屋の車夫であった。みすぼらしい身なりである。
美仙楼の龍造が定九郎を武士の出だと見抜く場面がある。
手に剣だこがある。
足の形が右足より左足のほうが大きい。刀を左に差すので左足でふんばる癖がついているのだ。
すべて失ったはずなのに武士の痕跡がある。
自分でも愕然とするのだ。
明治初期の混沌とした時代を元武士の重苦しい視点から描いている。落語の寄席の場面も素晴らしい。花魁小野菊の生き様も素晴らしい。