多和田葉子「百年の散歩」(2017年、新潮社)を読んだ。


ベルリンにある10の通りを散歩した作品。


カント通り

カールマルクス通り

マルティン・ルター通り

レネー・シンテニス広場

ローザ・ルクセンブルク通り

プーシキン並木通り

リヒャルト・ワーグナー通り

コルゥ゙ィッツ通り

トゥホルスキー通り

マヤコフスキーリング


ドラマのような筋があるわけではない。あるとしたらベルリンの街を歩きながら「あの人」を待っている、ということか。散歩して目についた風物や店舗、看板、文字、通行人、あらゆるものに好奇心を持ち興味を示し、時に空想の世界、思索の世界に入り込む。それを丁寧に文章にしている。黒い喫茶店で客を観察して描いていたりする。


ドイツ語の単語に対する反応、思索、言葉遊戯的な面もある。


なかなか読み進めない。例えるならば現代詩を読んでいるかのような。今の現代詩は知らない。学生のころ、いっぱしの文学青年きどりで、思潮社の現代詩文庫を買い集めて読んでいたことがある。難しくて理解がついていけなかったのを思いだす。


この本も似たようなところがある。ただ風景を描くのではない。そこに深い知識と思索、創造、空想、観察、歴史などを盛り込み読むのを難しくしている。


路上で携帯メールを打っていても誰も不思議がらないのに、メモ帳と鉛筆というのはどいやら不審と不安をかきたてるようだった。...p38


手帳に鉛筆でメモをし始めた途端、どこからともなく若い赤毛の女性が現れて、不審げにこちらを見ていた。...p69


大人になっても毎日、手帳に新しく発見した単語を書き記し、語彙を増やしていく人を移民と呼ぶのだ。...p70


つまずきの石だった。マンフレッド・ライス、1926年生まれ。殺されたのは1942年、アウシュビッツ。...p75


誰かの魂が、たぶん死んだ人の魂が、標識に宿った、とするとそれは、Renéeという人の魂なのだろうけれど、それにしても不思議な母音の並び方。eée!...p82


驚きはミミタブの裏側をカタツムリのようにゆっくりと這い上がってきた。...p91


立ち読みではない。立ち翻訳だ。本屋の中で立ったまま勝手に翻訳しているわたし。...p202


「あれがなくて困った」という名前のキオスクがある。...p216


「二時、三時、四時、ずっと待っていました。でも来ませんでしたね。」...p246


あの人は結局来なかったみたいだ。


多和田葉子「百年の散歩」新潮社。


ベルリンには死ぬまで行くことはないだろう。地図を広げグーグルで検索して画像を見て想像を膨らませるだけだ。


著者紹介を見ると、1960年生まれ、1982年ドイツ・ハンブルクへ。2006年よりベルリン在住。とある。