世田谷通り最古のバス会社は? | gayasan8560のブログ

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現在の世田谷通りには多くのバス路線があり、数分おきにバスが行き来しています。しかし、そのルーツをたどっていくと、肝心なところが曖昧模糊としています。世田谷通り(戦前は黒駒道などと呼ばれていた)に開設された最古のバス路線の事業者と開設時期です。

戦前の世田谷区内のバス(乗合自動車)に関する記載のある幾つかの本を読むと、世田谷通りに開設された最古のバス路線の事業者名として、「八木哲(八木商会)」と「仲田乗合自動車」のどちらかの名前が書かれています。前者は東京急行電鉄50年史を、後者は世田谷区近現代史(世田谷区)を出典としているようです。

東京急行電鉄50年史では、下図に示したバス事業の沿革が掲載されており、その一番下にある「八木哲」とあるのが、世田谷通り最古のバス事業者となります。wikipediaでもこちらを採用しており、三軒茶屋ー陸軍自動車学校ー調布の路線を立ち上げたという記述になっています。路線開設時期についての記述がありませんが、起点が三軒茶屋ということから、玉電下高井戸線(現在の世田谷線)が開通した大正14年以降になると思われます。その後、昭和7年に玉川電気鉄道に買収されています。

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出典:東京急行電鉄50年史(1973年)

一方、世田谷区が1976年に出版した「世田谷区近現代史」には、世田谷通りの最古のバス事業者として仲田乗合自動車の名前を挙げています。
こちらについては、中渋谷ー三軒茶屋ー上町ー陸軍自動車学校ー喜多見の路線が大正12年1月に開設され、その後玉電下高井戸線の開通に伴い上町以東を廃止した、という記述になっております。こちらの方も、玉川電気鉄道に買収されていますが、買収時期は昭和4年となっています。

この2つのバス事業者について、片方の資料が完全に間違っているということも考えにくいので、可能性としては、

(1)八木哲と仲田乗合自動車は同一会社(どこかで社名変更した)
(2)戦前の一時期、世田谷通りには2つのバス事業者が存在した

の2つが考えられます。個人的には(2)のような気がしていますが、いずれにせよ世田谷通り最古のバス事業者は、大正12年1月に開設した仲田乗合自動車ということになります。

ところが、先日記事にした世田谷村が町制実施にあたり内務省提出した稟請書に、以下のような記述があるのを発見しました。

東洋自動車工業株式会社ノ自動車ハ世田谷上町ヨリ下町、若林、太子堂、三宿、池尻ヲ経テ中渋谷迄運転シ毎度満員ノ盛況ヲ呈シ

稟請書の提出時期は大正12年2月なので、その直前の状況が書かれていると考えられます。「東洋自動車工業株式会社」という第三のバス事業者の登場です。
起終点の片方が「中渋谷」というのは仲田乗合と同じですが、もう片方が「世田谷上町」となっており、仲田乗合の「陸軍自動車学校」と微妙に異なります。
こうなると、もう何が何だかという状態ですが、あえて可能性を考えるとすると、

(1)大正12年1月に東洋自動車工業から仲田乗合自動車に社名が変更した。。稟請書作成時期の関係で、稟請書には変更前の社名が記載されている。
(2)東洋自動車工業と仲田乗合自動車の2つの事業者が存在した。稟請書作成時期の関係で仲田乗合自動車の記載が漏れてしまった。

どちらにせよ、大正12年1月には世田谷通りに乗合自動車が走っていたわけです。関東大震災が大正12年9月なので、これはかなり早い時期からの営業といえます。陸軍自動車学校の開校にともない学校関係者の利用が見込まれること、三軒茶屋から自動車学校までの道路整備が行われたこと、などがこのような早い時期での路線開設につながっているものと思われます。