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を読んだ
 
サンソンの事は大学1年生の時から知っていたし
本も既に一度読んでいたので1日で読み終えた
 
確かなんかの歴史のゼミ(基礎ゼミかな)で
「なんらかの歴史に関係ある人物についてレポート」
みたいな宿題が課されてそれでテキトーに思いついて
たどり着いた人物だった気がする
 
サンソンはタイトルにあるようにフランスの死刑執行人だ
生涯で何千人ともつかぬ膨大な数の人間の刑を執行している
その中にはあのルイ16世も含まれている
 
僕が彼に興味を持ったのは
彼が死刑執行人でありながら、生涯を通して死刑制度否定派だったことにある
 
かつてのフランスでは死刑執行人は世襲制で、
サンソン家も代々死刑執行人の家柄であった
 
死刑執行人はその刑の残虐性から人々から軽蔑され、虐げられていた
(王制に従ってただ命令を遂行しているだけだから彼らに非はないんだけど)
いや本を読むと虐げられるというよりは、”人にあらず”的な扱いだったのではないかという気がする
(世襲制という事もあり、死刑執行人が他の仕事をやろうと思ってもいずれ素性がばれ、結局死刑執行人という仕事でしか身を立てていけない現状があった)
 
まあ、その心情も理解はできる
なにせ、彼らは
顔色一つ変えずに拷問や刑を執行しているように大衆には見えたのだから
 
しかし、もちろん彼らだって人の子であって
何も死刑を執行したくてしているわけじゃない
死刑制度がある以上、それを執行する人は必ず必要で、
それが、たまたま彼らだったという話だけなのだ
 
サンソンは生涯、なんとか正当性を持たせようと葛藤しながら
自分の仕事と向き合っていた
彼の葛藤がピークに達したのはルイ16世の死刑執行を行った時だろう
なにせルイ16世は彼の敬愛してやまない人物だったのだから
 
ルイ16世の刑の執行に立ち会う時の彼の心情を思うと
胸が張り裂けそうになる
とても苦しかっただろう
 
この本の中でとても考えさせられた一文がある
「自分たち死刑執行人が忌むべき存在として世間から除け者にされるのは、
人を死によって至らしめることによって社会秩序を保とうとする、
その正義の体系そのものが、忌むべき存在だからではないのか?」
 
ハッとした
これは決して過去の話ではない、今もなお続く正義への葛藤
言ってみれば、今日の日本の死刑制度だってまさにこのサンソンが憂いた
現状なのではないか?と
 
もちろん現在の日本では死刑執行人(刑務官)が
忌むべき存在として大衆からバッシングを受ける事はない
しかし、死刑執行が存在する以上、
そういう人たちは必要だし、そして彼らが追う精神的苦痛も間違いなくあるはずで
それは目に見えているかいないかだけの違いだと思う
 
2015年に内閣府が調査した結果では、日本では
死刑制度賛成派が80%を超えているという
 
逃げみたいな感じになってしまうのだが
僕は死刑賛成派か反対派かと問われれば
全くわからない
それは、賛成派の意見も反対派の意見も(そういう類の本を読み)
どちらも正しいと思ったからだ
 
しかし、今の死刑の方法については僕はおかしいというか
その意義を考え直す必要があると思っている
 
 
・なぜ首吊りなのか
 薬物投与による安楽死という方法が取れるにもかかわらず、なぜそれよりも苦痛が大きい首吊りなのか?
→おそらく”首吊り”という方法が、一種の犯罪抑止となるからだという見方かなと思うが、首吊りは失敗することもある。
現に、過去の死刑において首吊りが失敗し、死刑囚は悶絶する苦しみの中で薬物投与で死んでいった例がある(これについての本が手元にないので参照元は示せないのだが・・・)
つまり、ただ、「重大犯罪者をこの世から抹殺すること」だけならば
安楽死という選択肢があるわけで、それをしないのは、ある種「みせしめ」がそこには働いている
 
・死刑執行人の存在
 これは日本では刑務官らしいが、死刑執行の際に3人の刑務官が立ち、
 同時に「死のボタン」を押すことで、刑務官たちには誰がそのスイッチを押したか
 わからないように精神的緩和の工夫がされている 
→その工夫がどれほど刑務官たちの精神を緩和させているのか分からないが、
 それほど効果があるとは思えない もっといい方法(つまり、死刑執行人が存在しなくていい方法 例えば時限式とか・・・)はないのだろうか
 
 
・闇に葬るような形で行われる死刑
 上述のように、日本では8割の人が死刑賛成だ
→しかし、もし、死刑が国会議事堂の前で行われたらどうだろうか
 死への恐怖に苛まれ、泣き叫びながら「死にたくない!」と叫ぶ死刑囚を
 前にしても尚、8割の人は死刑に対し賛成と言えるのだろうか
 もし、言えないとすればそれはとても卑怯なことなような気もする
 つまりはそれは
 ”自分の目に見えないところで”、”ひっそりと”
 犯罪者は首をつられるべきだと言っているのだ
(それを執行する人たちがいて、彼らが苦悩しているという点には目を瞑りながら)
 自分の手が、目が汚れるのはイヤだけど、
 誰か(死刑執行人)が殺してくれればそれでオッケーみたいな
 これって、まさにサンソンに対する大衆の扱いと同じじゃないか
 
自分の醜い部分や弱い部分に目を背けたり考えたりしたくないように
社会の矛盾や問題点に目を瞑りながら楽しく生きていくことはとても楽だから
そういう方にいきがちだけれど
(僕だって日々、基本ハッピーなことしか考えてない
 夜なに食うかなとか あの子パンツ見えそうだとか)
思考停止に陥ることは大局的に社会が不幸になるから、
 
目を手で覆ぎながらも
手の隙間から覗いてみることは必要なことだと思った