という本を読んだ

https://www.amazon.co.jp/ロングテール―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略-クリス-アンダーソン/dp/4152087617

 

経済界隈では割と有名なキーワードらしいが、理学をやってる身としては

本を読むまで全く興味の範疇外であった。

たまたま先輩から勧められたので読んでみたら、これがなかなか面白かった。

 

最近ではAmazon go やAmazon dashを展開し始め、勢いが乗りに乗っているAmazon(上記のリンクもAmazonだし)や、個人的にターミネーターのサイバーダイン社にしか見えない、Googleがなぜ大成功を納め現在も尚成長し続けているのか、

その成功の根幹をなす部分に本は触れている。

 

ネットが普及する以前では、”ヒット”する商品ばかりが世にはびこり、”ニッチ”な商品は片隅に追いやられていた。メーカーやメディアはヒットする商品ばかりを生み出し、消費者はヒットする商品しか目にすることがないので、必然的に消費者はメーカーやメディアの手の中で踊っているような形にならざるを得なかった。

 

ところが、ネットの普及によって、商品を置く”陳列棚”が無限になったこと、そして、商品を検索する”フィルター”が生まれたことで、例え万人受するヒット商品でなくても、世界のどこかにそれを必要とする人が一人でもいる限り、どんなニッチな商品でも、商品価値がつくようになった。それが果てしなく続く需要の”ロングテール”の正体だ。

 

今、ネットには情報があふれている。僕たちは毎日、溺れるような情報の濁流の中で、その中から見たいもの、得たいものをフィルターを通して取捨選択する。

そこで得た情報は、正しいか誤っているかは抜きにして、

少なくとも、個々の中で蓄積されていく情報のタイプはおそらくバラバラで極端なものになっていくだろう。

 

本の中でも述べられていて面白いと思ったのが、

「ヒットだけが世間に溢れていた時代は、個々が得る情報のタイプも均一的であるから井戸端会議ができた。しかし、ネットの普及によりニッチが溢れるようになった昨今では、井戸端会議はなくなりつつある」というもの。

(これを逆手にとって、井戸端会議をネットで作り出して成功したのがニコニコ動画なのかな)

 

ヒットによってうまい具合に大衆を成し、まとまっていた(まとめられていた)

僕たちは、今やバラバラになりつつある。

ネットやSNSでつながっているようで、たぶん僕たちは個々が持つ、

情報の蓄積量および情報のタイプという意味では大衆を成すことはないのだ。

(逆に情報のタイプごとの小さいコロニーみたいなのは生まれやすい)

 

しかし、ここで留意したいのがネットの情報拡散スピードだ。

SNSの普及によって、情報は”シェア”という形で一瞬で拡散されるようになってしまった。

これは、個人のメディア化という側面で非常に危うい一面をもっている。

その例として一番印象に残っているのが

昨年のパリのテロ同時多発事件の際のFacebookでのトリコロールカラーの件だ。

 

当時もそれに際し議論が紛糾していたが、
あの運動が是か非かはさておき、ひとつ確信できたことは
人間はバカバカしすぎるほどに単純に影響を受けやすい生き物であるということ。

そして、ロングテールの存在によって一塊の大衆を成すことは避けれても

本質は大衆と化したい側面が人間にはあるのではないかということ。

 

ここに、ネットとテレビの両方が存在しなくてはならない意義

があるのではないかと思う。

一般的に、メディアが大衆を生み出しているという概念がある。

現代で言えばロシアの国営放送がいい例だが、放送によってプロパガンダ映像を写し、

大衆を作り上げ扇動していた。

テレビにはそれだけの力と危険性がある。

そして、今、同じようにネットもそれだけの力を持ちつつある。

 

情報の濁流が世界を襲いつつある今、その濁流を生み出している

ネットとテレビが両者共存(ネット&テレビ)そして、両者牽制(ネット⇄テレビ)

することでダムのような役割を果たさなければいけないと思っている。