インターネット全盛の昨今において、商品のライフサイクルはもって3年

という話は良く聞く

しかし、ネットそのものがオワコンになりつつあるとは・・・

http://blogos.com/article/205746/

 

中高生の間では2ちゃんやニコ動はすでにオワコンになりつつあるらしい

記事の中では2ちゃんやニコ動のコンテンツが中高生向きでないというような内容だ

しかし、僕はそれは直接的な原因ではない気がしている

 

記事には2ちゃんやニコ動は流行らないが

LINEやツイッターは健在であると書かれている

なぜ中高生の中で2ちゃんやニコ動が廃れ、LINEやツイッターが健在なのか?

 

ぼくは両者の性質が大きく異なっていることにヒントがあると思う

 

つまり、

多くの人にとって(この場合は中高生)

2ちゃん、ニコ動は[傍受側]

LINEやツイッターは[発信側]

 

なのだ

 

つまり、中高生は”傍受”よりも”発信”に重きを置いているのだ

 

これは

多感な中高生の「自分をアピールしたい」という自己表現欲求(あえて承認欲求は使わないことにした)の表れであり、

なにも現代に限った話ではなく、いつの時代でもそうであり

その手段として現代にLINEやツイッターがあるから、なのだろうか?

 

はっきりとしたデータがあるわけじゃないので、

あくまで僕の推論の域を出ないのだが

少し違うと思う

 

なぜならば、自己表現欲求はなにも中高生の間に限った話ではなく

大人にも多く見られるからだ

 

Facebookを開けば

いい年こいたおっさんが自撮り写真にコメントをのせて

「新年の抱負」たるものを語っている

 

大学生はもっと顕著で

長々とした文章で自分が企画したイベントや団体、「いまなにをしているか」「自分はどういう人間か」を熱く語っている

 

そういうのを目にするたびに「知らんがな 誰やねん 自分大好きか!」とか

思っちゃうのだけど

 

多分僕も知らず知らず「自分語り」をしてるところ

があるんだろうな

 

人間誰しも自己表現欲求は多かれ少なかれあると思うんだけど

ここまで活発になっているのはなぜなんだろうか

 

詳しい原因はわからないけれど

なんとなく

 

情報の濁流の中で必死に

「私はここだよ!」「ぼくはここだよ!」って手を上げて叫んでる

ような感じがする

 

最近映画になっていた「何者」ってやつ

映画は見ていないけど原作は1年前に読んだ

あの本は的確にげんだいの若者を表現していた

みんな、「何者」かになりたいんだろうか

「何者」かにならなきゃいけないんだろうか

 

就活時期もあって、

Facebookでよく「次世代リーダー」「グローバルリーダー」の言葉を目にする

 

そんなんに、ならなきゃいけないんだろうか

ふつうに、生きてるだけじゃダメなんだろうか

日々、ちょっとした何かを楽しみに、生きてるだけじゃだめなんだろうか

 

先日、埼玉県で中学生が

飛び降り自殺をした

いじめとかが理由でなはく

「楽しいまま人生を終えたい」から死んだそうだ

彼女には、おそらく楽しい未来が見えなかったんだろう

 

グローバルな世界になりつつあるのに

なぜだかとても閉鎖的な空間にいるような居心地の悪さを感じるのはぼくだけだろうか

 

 

情報の濁流の中で声をあげて叫んでも

どうせ飲み込まれていくなら

おとなしく飲み込まれていた方が

幸せなんじゃないかな

 

もっと楽に、楽しく生きられるんじゃないかな

 

 

 

https://youtu.be/YOPrnIglre4

 

”誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない

自分を殺すことはない ありのままでいいじゃないか

 

劣等生でじゅうぶんだ はみ出しものでかまわない”