笑いって何なのか
つい先日、大学の友人と1時間くらい語り合った
こんな感じの、別に議論する必要もない非生産的な事を大真面目に議論する、そういうの好き
笑いが生まれる瞬間、そこには非日常、非常識、非一般的な要素が存在し、その振れ幅(ズレ)が
笑いの大小を決定する
漫才やコントは、ボケの振れ幅に対して
ツッコミがその振れ幅をスタンダードに落とし込むことによって笑いが生じる
難しいのが、その振れ幅が大きすぎ、スタンダードとかけ離れると、笑いが逃げてしまう
おそらく、その振れ幅を縮めすぎず、かつ笑いが逃げてしまわないようにいかにスタンダードに近づけるかというのがツッコミの役割であり、とても難しいところなのではないかと思う
松本人志は「笑いは差別だ」といっていたが
上記の事をふまえれば、確かにそうだ
笑いが生まれるところにはある種の「差別」が生じている
イジリとイジメ 何が違うのか 考えた時に
両者ともその大小あるにせよ、「差別」である事に変わりはない
では、テレビや漫画、いわゆる娯楽媒体や
友人どおしの間で生じるイジリは許され、
イジメは許されないのか
それは、イジる側、イジられる側の「笑い」の才能に異存するではないかと思う
イジる側に悪意がなくてもそのイジりを笑いにできる才能がなければ(逆にイジられる側に笑いを理解する才能がなければ)、イジられる側はそれをイジメと捉え、
逆にイジられる側に笑いの才能があれば
イジメをイジりに変える事も可能なのではないか(とても辛い事だけれど)
性格が良く、真面目な人より、性格が悪い人、ひねくれた人、物事を真っ直ぐ見ずに横から見る人が面白いのは、物事の「差別」を見いだすのに長けているからだと思う
と、ここまでが
僕なりに考えた笑いのプロセス
しかし、友人と話していて疑問に感じたところが、”これは笑っていいのだという笑い許可ゾーン”の正体とは何か ということだ
「不謹慎」という言葉がある
(僕は不謹慎なものほど面白いと思うのだけれど)
その言葉は、そこに生まれるはずだった笑いを中絶し堕ろしてしまう
僕たちは、日常において
「笑っていい部分、笑ってはいけない部分」というのをこの言葉の仕切りをどこに置くかで
判断している
その仕切りを作ると”笑い許可ゾーン”、”不謹慎ゾーン”が生まれるのだ
では、この仕切りをどこに置くかという事を僕たちはどうやって判断しているのか
それは道徳教育によるものなのか
それともテレビや漫画、娯楽媒体によってすり込まれた「これは笑ってもいいんですよ」という暗示なのか
僕は後者の影響が大きいような気がするのだが
よく分からない
それは対人コミュニケーションの中で生じる
「空気」が生み出すのか
そういや、「空気の研究」という本を購入したけど難しすぎて途中で諦めたのを思い出した
もう一回、読んでみよう
何か答えが見つかる気がする
そんなわけで、
「笑い」について友人と議論した
楽しい時間だった