本当の野球ファンは清原和博を忘れない
世間はサッカーのワールドカップで盛り上がっているのかな?だが、私はどうしても野球のことが頭を離れない。べつにサッカーが嫌いなわけではない。ただ、野球が好きなだけ。でも、近年のプロ野球を見ていると、正直つまらないと感じることが多い。少し活躍したと思ったら、誰も彼もがすぐにメジャーリーグへ行ってしまう。だが、厳しい現実を言えば、投手を除いて向こうで大成功を収めた野手は数名しかいない。多くの選手が全盛期を過ぎ、ボロボロになって日本に帰ってくるか、そのままひっそりと引退していく。「あのまま日本でファンを沸かせていれば、もっと幸せな野球人生だったのではないか」そんなお節介な気持ちが湧いてきてしまう。日本のマウンドやバッターボックスで、命を懸けて戦うスーパースターが見たい。球史に名を刻んだスラッガーは数多くいるが、私の中でその頂点にいるのは清原和博だ。中学時代から天才と騒がれ、PL学園で甲子園の申し子となった男。1985年夏の決勝戦、彼の打球がスタンドへ消えた瞬間、アナウンサーが放ったあの言葉は今も耳に焼き付いている。「甲子園は清原のためにあるのか!」という名実況だ。のちに彼は道を踏み外し、世間からのバッシングを浴びることになった。全盛期の面影を失った晩年の姿やその後の報道は、ファンとしては見ていて辛かった。しかし、あれが彼のすべてではない。彼の生家は決して裕福ではなかったというが、厳格で堅実なご両親に育てられた彼は純粋に野球だけを追いかけていた。どれだけ時代が流れ、選手が海を渡ろうとも、私の記憶に深く刻まれているのは、彼のまっすぐさと日本中を熱狂させた「背番号3」の雄姿だ。私がこれほどまでに彼に惹かれるのは、彼が誰よりも「愛される野球人」だったからだ。伝説となった彼の引退試合を、今でも鮮明に覚えている。あの日、彼を胴上げしたのは自チームではなく、対戦相手である西武ライオンズの選手たちだった。そして彼は、自分が着ていたオリックスのユニフォームを脱ぎ、かつて自分が背負ったライオンズの「背番号3」を受け継いだ中島裕之のユニフォームと交換した。敵味方を超えたこんな胸が熱くなる光景、後にも先にも見たことがない。余談だが、中島選手は我が愚息の四級上の高校の先輩であり、ドラフトにかかったと聞いて息子はその野球部に対するあこがれをさらに強くしたのだった。些細だがその縁を思い出すとさらに思いが深くなる。清原の根底には、日本野球界が大切にしてきた「長幼の序」が絶対的な美徳として流れている。彼はどれだけ大物になろうとも、先輩に対する敬意を絶対に崩さなかった。あえて言わせてもらえば、スマートに海を渡ったイチローや松井には、この泥臭いほどの「縦の絆」が少し欠けているように見えてしまう。だからこそ、そんな礼節を知る彼が、引退後にあのような形で道を踏み外してしまったことが、ファンとして悔しくて、残念でならない。数字の面で見れば、通算525本塁打を放ちながら、彼は一度もホームラン王に輝いていない。主要タイトルのない「無冠の帝王」だ。が、彼はスタッツ(統計や記録)で語る選手ではないのだ。「ここで打たなきゃ男じゃない」という大一番、ここぞという極限の場面で、彼は必ずファンの期待に応えてみせた。大試合になるほど燃え上がる、あの圧倒的な“お祭り男”の血――さすがは岸和田っ子である。彼が数字を超えて「記憶に残るスラッガー」であり続ける理由は、まさにここにある。そんな彼のような「日本野球の象徴」を思い出すたび、近年の安易なメジャー流出に疑問を抱かざるを得ない。海を渡って「世界の〇〇」と持て囃されるのも結構だが、日本のファンとしては、日本の宝が国内で牙を剥き合う姿が見たいのだ。日本プロ野球界は、至宝たちを簡単に手放すべきではない。選手が「生涯ここで戦いたい」と思えるような、もっとドメスティックで魅力的なフィールドへ進化すべきだ。これは野球界だけの話ではない。いまや日本のあらゆる分野から、優秀な人材や富が海外へ流出し続けている。この現状を、私たちはただ指をくわえて見ていていいのか。なんとしてでも食い止めるべきだ。清原和博という男が日本中を熱狂させたあの時代のような、内なる熱量とプライドを、今の日本はもう一度取り戻すべきではないか。現役バリバリのメジャーリーガーが逆に流入してくるような球界になってほしい。日本の野球、なかなかのレベルなのであるから。