意味深なタイトルですが

ガチャ美が、なんで実習生と関わるようになったか?


ガチャ美が大学生の頃
日本語教師になりたくて
ボランティアの日本語教室に行ってました。

日本語になりたいと今から目指す方へ。
やめとけ。


まぁ、その日本語教室はじじいばばあばかりで
学生のガチャ美はチヤホヤされていました。


で、インドネシア人実習生が来る
ガチャ美、実習生の通訳になって

これが始まり。


実習生ってなんや?

で、実習生たちに大阪を案内したり
イベントやったりと一緒に遊ぶなか

ムクさんと知り合う。


で、卒業して就職して
そこの団体との関わりはなくなりました。

そこの団体は、暴力などある
激しいところ、、、

ムクも何度も殴られていました。
何か理由があったんだろうけど
ムクは理由が分からないと言っていた。
相手に理由を伝えれてなかったら
意味なくないか?



インドネシアで就職して
会社潰れて日本に戻ってきました。


心斎橋のインドネシアレストランで
インドネシア人の友人らとインドネシア語で喋っていたら


日本人のおじさんに声をかけられました。

インドネシア語お上手ですね。
こんな団体興味がありませんか?

と、名刺を渡されました。


ムクさんのところがブラックだったため
最初はいい印象じゃありませんでした。

おじさんも最初態度悪かったよなー
というツッコミ。
いや、インドネシア人守りたくて
近づけないようにしてたんですよ。


でも、そのおじさんの人格が
何度かレストランやイベント等で
偶然あってお話しするうちに
分かってきました。
(共通の知人が多かったのもある)

そこから、ガチャ美はそこの団体に
アルバイト登録することになりました。

そこの団体の実習生は18歳から21歳の子達。

アルバイト内容は、実習生の日本語教育
生活指導。

一番最初にやったのは
新大阪の駅でお出迎えと
新居のお掃除、ゴミ出しなど


その、アルバイトを今も続けています。
本業は別でしています。



初の実習生が
マルちゃん、さーちゃん、キー坊だったのです。
当時、18.19の坊主で可愛かった。
日本語も話せなかった。

今じゃ、髪を染めて
下ネタも言うようになりました。


そういった団体の求人はどこで見つけたか
聞かれますが
求人ださないで、紹介が多いですね。

求人だすのが面倒だそうです笑笑

第一にインドネシア語話さなきゃダメ。

世間では、実習生に対するパワハラなど
ニュースになりますが
私の登録している団体は絶対にない。

おじさんも心ある人です。

心なきゃ、実習生に痔のお薬を
肛門に塗れませんよ。
おじさん躊躇なく薬塗ってあげてて
すごいなーと思う。

心ある団体がほとんどで
ニュースになるのはごく一部ということを
知ってほしいです。
変わったことがニュースになるんです!